この板の間、完成当時は板の間ではなく、畳の間でした。

しかし、第二次大戦後、アメリカの進駐軍に接収され、進駐軍の滞在場所となります。
その時に、アメリカ人が過ごしやすいよう畳を外し、板の間となりました。
進駐軍の人や家族はここでパーティーやダンスを楽しみました。

やがて進駐軍から日本に返還され、何人か所有者が変わり、現在に至ります。

今でも畳を張ることなく、板の間として存在しつづけるこの広間。
時には日本舞踊の発表会や、能の公演でも使われるということです。

黒光りするこの板の間の床。
戦後79年の時の流れを静かに見つめてきました。