父親の転勤で広島県から岩手県に移り住み、県内で高校の体育教師になった三田さん。


その後、結婚などもあり生活は順風満帆でしたが…

(三田健二郎さん)
「自分はこういう人間(被爆者)だとか、こういう風に恐ろしい目にあったとか、近親者に対して、あまりつぶさに言いたくなかった」

当時は被爆者であることから結婚を断られるなどの差別もありました。
三田さんは、結婚して10年以上妻の恭子さんに打ち明けることができなかったといいます。

(三田健二郎さん)
「もうちょっと前にはっきり言うべきだったと思いますけどね」

30代の後半ごろから徐々に体験を話すことができるようになったという三田さんは現在、岩手県原爆被害者団体協議会の会長も務め、自らの経験を精力的に伝えています。


背景にあるのは、経験を語る被爆者の減少です。

(三田健二郎さん)
「語る人がいなくなりましたからね、歳も歳で。今までは語る人がちゃんといて、私よりもずっとひどい体験をした人がたくさんいたわけですから、やや遠慮していた」