28年間に及ぶ珠洲原発“推進派”と“反対派”の争い

北陸・中部・関西の3つの電力会社による「珠洲原発」建設構想が明るみに出たのは1975年。珠洲市は市長選や県議選を重ねながら、推進派と反対派が対立を深めていきました。しかし2003年、電力3社の社長が珠洲市役所を訪れ、原発の計画凍結を申し入れました。
「珠洲原子力発電所計画について、鋭意協議をしてきましたが今般、本計画を凍結することを決定しましたのでご報告します」

28年間にも及ぶ市を2分した争いは幕を閉じました。
30代の頃、反対派として建設予定地で阻止行動にあたっていた北野さんは、「珠洲原発がなくて本当に良かった」と話します。
北野進さん
「(これだけの高さが)隆起したということです。本当に止められてよかったなと思う。志賀原発の再稼働は本当に論外だと思う。次の隆起が志賀原発を襲わない保証はないわけで、建ててはいけないところに建ててしまった。廃炉しかない」