■捕虜の代わりに盾となった父が伝えたかった事

(秋山信義さん)
「『軍隊時代に捕虜は絶対に傷つけたり虐待してはいけないと教育を受けた』と言っていた。国は違っても、命を懸けて戦う者同士という意味では意気投合する部分があったのではないか。
『孫の敵と言ってたたく人を止めた』『アメリカ兵の代わりにたたかれたり、石を投げられたり盾になった』と言っていた」


終戦の前の年に生まれた信義さんは、戦争の記憶はありません。ロシアのウクライナ侵攻の報道を目にする度に、父親の言葉を思い出すといいます。

(秋山信義さん)
「父は『日本軍が始めた戦争に駆り立てられて鬼畜米英と教育を受けたが、戦争をしてはいかん。自分が身をもって体験したから、若い世代に平和が長く続くように思っている』と、戦争の話をした後に必ず言っていた」


77年前、捕虜となったアメリカ兵と、彼を連行した日本兵。1枚の写真を元に、関係者たちは、あの戦争とこれからの平和のあり方について問い続けています。