大学生に語りかけたこと
みなさん140人の書いたレビューシートを、2回読み直しました。音声メディア・ラジオの特性がきちんと伝わっています。真剣に聴いていただいて、ありがとうございました。
ラジオ『SCRATCH 差別と平成』と、それをテレビ化した『イントレランスの時代』は、取材者である私の1人称しゃべりを軸にしています。でも、それで客観報道になるのか?こんな感想を寄せてくれた学生さんがいらっしゃいました。
<学生の感想>
「客観報道は重要だが、事実とフェイクの中立はありえない。それと同様に差別と反差別の中立もありえない。これを許すのはメディアの放棄であり、客観報道に逃げることになる」。この言葉は自分の中で腑に落ちました。
私のこの問題提起に触れた方は、20人もいました。メッセージがきちんと届いていることを、とてもうれしく思いました。
将来、自分はどんなことをしているのだろう?文学部キャンパスのスロープを下る時に、よく考えていました。新聞やテレビのニュースは大好きでしたが、優は在学5年間でわずか5つ(卒論と体育を含む)というありさまで、毎日新聞の筆記試験に通った時には驚きました。奇跡は二度も起きないと思ったので、ほかの新聞社はもう受けませんでした。
就職してみると、一見怖そうでも、人間味のある幹部・先輩が多かったです。入社してすぐ、「お前はサラリーマンか?記者として社外と戦うなら、まずその前に社内で上司と戦え。出世したくて記者になったんじゃないだろう。俺たちは、記者だぞ」と当の上司から言われ、「この仕事に就いてよかった」と思いました。尊敬できる記者はたいてい差別を許さない心、悲しむ人とともに泣いてしまう弱さ、強い者に歯向かう抗いの心を持っていました。
「マスコミは批判ばかりで偏っている」とよく怒られますが、たとえ日本に共産党政権が誕生しても、私は今と同様にウオッチし、批判するでしょう。権力は、常に腐敗するものですから。このメディアの本質は、早稲田が大事にしてきた「在野の精神」と通底しています。
しかし、記者を30年続け、みなさんにお渡しする社会が、この令和の日本です。この10年で社会をここまで劣化させてしまったことに、私自身も責任を感じています。
就活へのアドバイスを求められると、メディア志望者だけではなく全員に、「紙の新聞」を取ることを強く勧めています。作文を見て、面接で少し話しただけで、その学生の国語能力や社会の基礎知識は大体わかりますが、ほとんどの学生はネットで情報を得ているので、知識のバランスが悪い人が実は多いのです。新聞の主張が自分の考えと違っても、自分の立ち位置を知る「一つの物差し」と考えればいい。だまされたと思って、1年間取ってみてください。それだけで、就活はかなり有利になりますよ。
そして将来、もし取材する立場になったら、まずは「客観報道」のセオリーを学んでください。定型を知らずに、定型を崩すことはできません。独りよがりの熱情を押し付けられても、受け取る側の心は引いてしまいます。何より大事なのは、ファクトです。光が当たっていない事実を見つけ、「これを報じたい!」という熱いパッションを秘めて、冷静な筆致で伝える。記者の仕事は、そんなものかなあと思っています。