「主観報道」を「客観報道」する

神戸と接見する植松死刑囚

今回の映画『リリアンの揺りかご』で私は、家庭を持つ障害者の父親としての立場(被取材者)と、記者として報道に携わる立場(取材者)と、公私2つの側面から社会現象にアプローチしています。公私ないまぜになっているように見えるのは、現状のメディアの報道姿勢に私自身が物足りなさを抱いていて、それを突破するためにあえて選んだ道だからです。そのために、こんなことを心掛けました。

▼「私の目にはこう映っている」と主観的に示すこと。
▼中立報道というジャーナリズムの基本原則からあえて外れると同時に、主観報道でありながら冷静な筆致を採ること。
▼自分自身を取材対象として客観報道すること。

結果、それがどんな表現になったのか。「TBSドキュメンタリー映画祭2024」で上映される『リリアンの揺りかご』をご覧になった方は、どのような感想をいだかれるでしょうか。上映は福岡会場限定ですが、ネットでの配信も検討されています。私の問いかけを、みなさんがどうお考えになったか、お伺いしたいと思っています。

神戸金史(RKB毎日放送)