ビールやエナジードリンクの文化的記号を借用

そもそも、人は飲み物を純粋に機能だけで選んでいるわけではない。特に、モノによる物質的豊かさがある程度実現された現代においては、単なる喉の渇きや味覚的嗜好だけではなく、その場の空気や文化、周囲との関係性に応じて飲み物を選択する機会も少なくないのではないだろうか。筆者は、飲み物には「その場にふさわしいコード」が存在すると考えている。

例えば、高級レストランでは普段ワインを飲まない人でも、店の雰囲気やウェイターの勧めによって自然とワインを選ぶことがある。また、クラブでテキーラショットが飲まれるのも、アルコールの味そのものというより、その場の高揚感や文化的文脈が共有されているからである。さらに、野球場でビールを飲みたくなったり、ホテルのラウンジでホットコーヒーを選びがちだったりするのも同様で、その空間や場面ごとに「似合う飲み物」が存在している。つまり飲料は、単なる水分補給や嗜好品として選ばれているのではなく、その場に適応し、自分自身をその空間の文脈へ接続するための役割も担っているのである。

THE DAYやLiquid Death同様に、アサヒ飲料は2026年1月、首都圏の飲食店を中心に数量限定で、大人向け炭酸飲料「アサヒスパイシーハイ」を展開していた。スパイスやハーブの香りに加え、ニガヨモギの苦みを効かせた独特な味わいを特徴としており、一般的な清涼飲料水とは一線を画す商品設計となっている。特に注目すべきなのは、その“飲む場所”を前提として開発されている点である。瓶ビールを想起させるパッケージデザインや、あえて癖を持たせた味わいによって、単なるソフトドリンクではなく、酒場や飲食店の空間に自然に溶け込む飲料として設計されていた。

言うなれば、これらが成立している構造は、「こどもビール」やシャンメリーに近いともいえる。子どもが“大人が飲んでいるような飲み物”を特別な日に背伸びして飲みたがるように、ビールやシャンパンの文化的記号を借用することでそれらの飲料は価値を生み出している。これは、シャンメリーやこどもビールが単なる炭酸飲料でありながら、封入されている瓶の見た目やグラスに注いだ際の“ビールらしい見た目”そのものに価値があることと似た構造である。つまり消費者が求めているのは味や成分ではなく、その飲み物を通じて特定の役割や雰囲気に参加できることであり、このような時、飲料は「何を飲むか(味覚的嗜好)」以上に、「どう見えるか」を演出する装置として機能しているのである。

これは言い換えれば、人々が必ずしも「本当に自分が飲みたいもの」を選んでいるわけではなく、その場の空気や社会的文脈へ自らを適応させるために飲み物を選択していることを意味している。つまり消費者は、純粋な味覚的欲求や機能的必要性だけで飲料を選んでいるのではなく、「その場で自然に振る舞えること」や「場から浮かないこと」、さらには「その共同体や空間への参加権を維持すること」を優先しているのである。

もちろん、そこには社会的適応という意味で一定の合理性が存在する。しかし一方で、本来そこまで欲しているわけではないものや、機能的には必要ではないものを、場に適応するだけのために消費してしまうという非合理性も内包している。現代社会では選択肢が多様化し、「自由に選べる」状態が存在しているにもかかわらず、人々はあえてその自由を行使せず、場のコードや空気感へ自らを同調させるように商品を選択しているのである。