“死”の水

筆者はTHE DAYの発表を聞いた際、アメリカ発の缶入り飲料ブランド「Liquid Death(リキッド・デス)」を想起した。ドクロをあしらったその缶は、一見するとビールやエナジードリンクのように見えるが、中身はTHE DAYと同じく水である。

パーティーの場でもアルコールを飲んでいるように見え、場の雰囲気を壊さずに済むことから、SNSを中心に人気を拡大し、現在では企業価値が14億ドル規模と評価される注目ブランドへと成長している。Liquid Deathは、アルミ缶やメタルバンド風のロゴ、「Murder Your Thirst(喉の渇きを殺せ)」といった過激なコピーによって、水を単なる飲料ではなくカルチャーアイテムとして再定義した。近年ではロックバンドがライブステージに持ち込むことも多く、“見栄えの良い飲み物”として定着している。Liquid Deathは、「この缶を持つ自分」に価値を感じさせることで、高価格帯でありながら支持を獲得した。そこでは消費者が購入しているのは水そのものではなく、“カルチャーへの参加権”や“自己演出”に近い価値である。

プロップス消費

筆者は以前より、私たちの消費は、モノの使用価値(機能的価値)そのものではなく、その商品やサービスが消費者の自己演出につながる消費が拡大していることを指摘しており、これを「プロップス消費(消費のプロップス化)」と呼んでいる。プロップス消費とは、商品そのものの機能や使用価値ではなく、その商品を消費することで自分がどのように見えるか、どのような存在として振る舞えるかというイメージを自己に付与することを目的とした消費行動である。消費者はモノを機能として選択するのではなく、その商品が持つ世界観や文脈、記号性を媒介として自己を演出し、特定のライフスタイルや価値観への接続を試みる。すなわち、モノやサービスは単なる使用対象ではなく、消費者自身が主役となり、自己を成立・表現するための「小道具(プロップス)」として機能しているのである。

この現象は、社会学者アーヴィング・ゴッフマンのドラマトゥルギー論からも理解することができる。ゴッフマンは、人間の社会的相互作用を演劇にたとえ、人は他者の前で特定の役割を演じる「パフォーマー」であり、社会はその舞台であると指摘した。この視点では、自己とは固定的な本質ではなく、他者のまなざしを前提として状況ごとに演じられるものである。その際、衣服や持ち物、振る舞い、空間などは、演技を成立させるための要素として機能する。プロップス消費とは、まさにこの「演技を支える要素」を消費する行為だといえる。カフェや観光地、イベント、ファッション、そしてTHE DAYやLiquid Deathのような有形物もまた、「どのような自分を演じたいか」に応じて選択される。人々は、その商品を消費し、保有し、持ち歩くことで、ブランド側が用意した文脈や世界観に参加し、自らの役割を演じているのである。

ただし、記号とは本来、社会的に共有された文脈の中で初めて意味を持つものである。例えば、酒の場ではビールが飲まれ、テンションを上げたい場ではエナジードリンクが選ばれるという文化的コードが社会の中で共有されているからこそ、Liquid Deathのような商品は、ビールやエナジードリンクに似たパッケージデザインを採用することで、その文脈へ接続することができる。

つまり消費者は、「自分がそう思いたい」だけでその商品を選んでいるのではない。その商品が周囲からも「酒を飲んでいる」「その場に適応している」と認識してもらえるような状態になることで、初めて記号として機能しているのである。