「条件が合う人に好意を持ってもらう」という行為が意味する事

婚活において「条件が合う人に好意を持ってもらう」という行為には、個人が有する実資本――資産、学歴、教養、さらには容姿までもが大きく関わっている。これらの元手が承認されなければ、そもそも選択肢にすら入ることができない。

人は自分が相手を選んでいるように見えて、実際には相手から選ばれているのであり、条件が合っていたとしても、より上位互換の存在が現れれば容易に切り捨てられてしまう。

まるで商品を選定するかのように人が選ばれる場面では、そこに伴う感情はしばしば無視される。

代替可能な他者になれないことは、承認されないことを意味し、悔しさや悲しさ、やるせなさといった感情を生む。しかも相手も同様の経験をしているはずなのに、その感情は互いに顧みられない。

他者が傷つくことを考えず、自分がされたら傷つくという構造は、自己肯定感を低下させる要因となる。さらに、条件が合ったことで選ばれたとしても、それは容姿や年収、学歴といった代替可能な要素の比較に基づく評価にすぎず、人となりそのものが評価されるわけではない。

そのため「自分が選ばれたのは容姿のためか、年収のためか」といった問いが生じ、結局は「自分でなくてもよいのではないか」という感覚を生む。

そして、より条件の良い存在が現れれば交換されてしまうという無常さを理解しているからこそ、婚活は困難であり、人間関係の不安定さを強く意識させる営みとなっているのである。

そこにあるのは感情的な結びつきではなく、「ほかにも代わりがいるかもしれない人」と顔を合わせてみるという試行的な行為にすぎない。

そのため、やり取りが続いたのに急に既読スルーしたり、会う直前でドタキャンしたり、もっといい人いるかもと、一人の人に決めきれなくなるのである。

主体性の錯覚と承認の不確実性

また、マッチングアプリでいえば、一見すると自分が設定した条件に基づいて相手を選んでいるため、主体的なイニシアティブを握っているように見える。

アプリ上で好みを選りすぐる過程は、あたかも自分が絶対的な立場にあり、選ぶ側の人間として振る舞えるかのような主体性の錯覚を伴う。

さらには、自分自身を顧みることなく、そこで選んだ相手と必ずマッチできるかのような錯覚的な全能感すら生まれる。

しかし実際には、自分もまた選定の対象であり、相手から評価される立場に置かれている。ゆえに、マッチが成立しない場合には「選んでいる側であったはずなのに選ばれなかった」という矛盾に直面し、自己肯定感が大きく揺らぐのである。

ここにあるのは、選ぶ主体であるかのように振る舞いながらも、同時に選ばれる客体でもあるという構造であり、それが「承認の不確実性」を生み出す。

すなわち、主体性の錯覚と承認の不確実性の交錯こそが、婚活における心理的困難の核心なのである。

従来の中間集団におけるソリッドな人間関係の下では、互いの人となりを理解したうえで恋愛が成立するため、相手が「代替可能な他者」として扱われにくかった。しかし現代では人間関係が希薄化しており、職場恋愛のような場面も難しくなっている。

加えて、中間集団における関係性が希薄化しているからこそ、公私を厳格に分ける人も多く、片方が恋愛に発展させたいと望んでも、社内ストーカーやセクハラと受け取られる可能性があり、そもそも恋愛感情を持ち込むこと自体が困難になっている。

ナンパなども同様に、現代社会では迷惑行為として認識されやすく、偶然的な出会いの契機は大きく減少している現状がある。

だからこそ、恋愛意思のある人が集うマッチングアプリや婚活サービスなどのオープンなマーケットが、偶然性に代わって出会いを必然化された場として制度的に保証する役割を担っているのである。

その結果、個人は他者にとって代替可能な存在として振る舞うことを余儀なくされ、この余儀なくされることこそが婚活疲れを生み出す大きな要因であると筆者は考える。

※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 生活研究部 研究員 廣瀬 涼

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