もはやスタンダードとなった「オフ会」

一方、オンラインにおいては以前にもまして強固なつながりが形成されつつある。かつて「オフ会」という言葉は、ネット上で知り合った人と現実世界で会うことの特別性を強調していた。

しかし、明治安田生命が2025年に20歳から79歳の既婚男女1,620名を対象に行った「いい夫婦の日に関するアンケート調査」によれば、1年以内に結婚した夫婦の出会いは「マッチングアプリ」が30.4%と1位となっており、ネットでの出会いが自身のリアルな人間関係に接続されることはもはやスタンダードとなっている。

さらに、株式会社Parasolが運営する『恋愛婚活ラボ』が株式会社Omiaiが運営するマッチングアプリ「Omiai」と共同で行ったマッチングアプリに対する意識調査では「マッチングアプリの印象・イメージ」を聞いているが、Z世代(18~25歳)は53%、26~40歳では59%がマッチングアプリを「当たり前の出会いの手段」として回答しており、Z世代を中心に、かつてマッチングアプリに対してあった「怪しい」や、「危険な出会い系サービス」という印象は少なくなっているようだ。

実際にWebメディア「otalab」を運営する株式会社アップデイトが2024年に18歳から28歳の男女723人を対象に実施した「Z世代のマッチングアプリに関する意識調査」では、「マッチングアプリを利用したことがあるか」という問いに対し、58%が「ある」と回答している。

つまり、2人に1人以上がすでに利用経験を持っているのだ。こうした状況からも、自身の伴侶すらオンラインで見つけることが当たり前になりつつあり、ネット上でのつながりに重きが置かれていることがわかる。

また、いわゆる「界隈消費」と呼ばれるように、個人の趣味や価値観に基づいてSNS上でつながりを持つことは今や普通になっている。

学校や会社のように同じミッションを共有していても、自分で選んだわけではないコミュニティよりも、会ったことはなくてもネット上の人の方が自分を理解してくれると感じ、同じ話題で盛り上がれるため大切だと考える人もいる。

その結果、ネット上のコミュニティを高いプライオリティに置き、親密圏に組み込む者も少なくない。

このように「脱社会化」した社会では、SNSをはじめとするオンラインのつながりに抵抗がない人々が増え、多様化が進んでいる。

かつては会社や学校、サークルといった中間集団が準拠の対象となり、そこでの価値観や流行に従うことが自己形成の基盤となっていた。しかし現代では、その結びつきが弱まり、確固たるロールモデルや画一化された幸せは消滅しつつある。

代わって、個人の欲求や心地よい人間関係から生まれる親密圏が準拠の対象となり、中間集団に従うのではなく、自ら選び取った関係性を基準にできるようになったのである。そのため選択肢は広がり、多様な価値を享受することが可能になっている。

他人にとっての「代替可能な他者」の一人となるプロセス

中間集団では流動性が低く、代替のきかない人間関係が成立するが、SNSやインターネットを基盤としたコミュニケーションは根本的に異なる性質を持っている。

ギデンズが示唆するように、物理的な距離や時間を隔てたまま何かを行うことが一般化した結果、マッチングアプリやSNSで同志を見つけたり、数年前のYouTubeのコメントに返信したりと、「身体を伴わないコミュニケーションの形成」が当たり前になっている。

こうした場では、人は画像やハンドルネーム、自己申告する属性など、ネット上で構成された情報の集合体=「データの束」として存在し、他者もまた同様に「データの束」として現れる。

つまり、人と人との出会いは同じ職場や学校といった偶然によって生まれるのではない。むしろ、どんな目的で情報を収集し、どのような人とつながりたいのか、どんな界隈をフォローしたいのかといったニーズに応じて出会いがアレンジされる。

その結果、各々の欲求を満たすために最適化された「相手」と知り合うことになるのである。そして、この最適化された「相手」へと自身が収斂していくことこそが、他人にとっての「代替可能な他者」の一人となるプロセスなのである。

わかりやすく言えば、マッチングアプリで「年収1000万以上」「身長180㎝以上」「東京在住」「35歳以下」と検索して出てきた人物は、利用者のニーズを満たすがゆえに必然的に画面に現れた存在であり、街や職場で偶然に出会う場合とは性質を異にする。

逆に言えば、たまたま候補に挙がったAさんとデートしてもしっくりこなければ、隣に表示されたBさんでも構わないのであり、その結果「必ずしもその人である必要はない人」が選ばれることになる。

こうして人間関係は、偶然性に基づく固有の出会いから、検索条件に応じて生成される条件最適化による代替可能な出会いへと移行しているのである。

絶対に同じクラスの○○さんと付き合いたい、という願望と、誰でもいいから彼女欲しい、とでは同じ恋人が欲しいであっても性質が全く異なるのと同じだ。

このように「クリスマスまでに恋人が欲しい」「今寂しいから誰かとつながりたい」といった発想は、交換可能性が高く、相手は、誰でもいいし、何でもいい。

ハロウィンで盛り上がるとき傍にいる人も、クリスマスまでに欲しい恋人も、別に誰でもいいのだ。

こういうとき、相手の「顔」が見えてはおらず、目的を達成するための要素の一つとしてその対象を見ている。

婚活においても特定の誰かと結婚したいのではなく、自分が恋人もしくは伴侶がいる状態になることそのものが目的であり、候補者たちはその目的を達成するための要素に過ぎないのだ。

同様に、自分にとって交換可能な何かや、誰かとつながるとき、自分自身も他人にとって「誰でもいい人」になっているわけだ。

しかし、身体的な繋がりがコミュニケーションにおいて必ずしも必要とされなくなったにもかかわらず、付き合う、結婚するという行為においては身体的な繋がりが必要となる。

そのような対象として自身を選考してもらうために、私たちは依然として「誰かに必要とされる自分」を求めている。

結果的に、データの中で価値を見出されることが、自己のアイデンティティの証明となり、リアルな関係性へと接続されるのだ。

人間関係が「代替可能」であることが前提となるため、「代替されない存在」=価値になる事が求められている・・・・ような気がしてしまう。

だから自分は他人にとって理想であるべきだと考え、他人の理想になろうとするプロセスを通じて、安定的な自己像の構築に繋げていくのである。

ソリッドなコミュニティにおける人間関係が希薄化するということは、個人が代替可能な存在として扱われる場に身を置く機会が増えることを意味する。その場合、あなたという存在は他人、さらには社会においても、存在の必要性を証明することが不可欠となってしまう。