まだ寒さの残る冬の季節であるが、この時期から少しずつ花を咲かせ始める桜がある。それがカワヅザクラ(以下、河津桜)である。
河津桜は静岡県賀茂郡河津町で発見された桜であり、2月という早い時期に濃い桃色の花を咲かせることで知られ、毎年多くの観光客がその美しさを求めて河津町を訪れる。
この桜は、冬から春への「うつろい」を告げる風物詩であるだけでなく、河津町の観光事業とも深く関わっている存在である。
本稿では、河津桜とはどのような桜なのか、その起源や由来について整理するとともに、他の桜との違いを手がかりにその特徴を概観する。また、河津桜をめぐる取り組みに触れながら、河津桜が地域資源として持つ意味について考察する。
河津桜はどんな桜なのか?
1|河津桜の起源と由来
河津桜は、静岡県賀茂郡河津町で発見された早咲きの桜である。現在一般に知られている河津桜の原木は、河津町田中に住んでいた飯田勝美氏(故人)が、1955年(昭和30年)頃に偶然発見した桜の苗木を宅地内に植えたものとされている。
この桜は、1966年(昭和41年)から開花が確認されるようになり、開花時期や期間、花の色など他の桜とは異なる性質を持つ桜として、次第に地域内外から注目を集めるようになった。
その後、伊東市在住の勝又光也氏が、1968年(昭和43年)頃からこの桜の増殖に取り組み、河津桜の普及に大きく貢献した。
一方で、県有用植物園(現・農業試験場南伊豆分場)は、賀茂農業改良普及所、下田林業事務所(現・伊豆農林事務所)、河津町などと協力し、この特徴ある早咲きの桜について調査を進めた。
その結果、この桜は原木が河津町に存在することから、1974年(昭和49年)に「カワヅザクラ(河津桜)」と命名され、翌1975年(昭和50年)には河津町の木に指定された。
河津桜は、カンヒザクラ(以下、寒緋桜)とオオシマザクラ(以下、大島桜)が自然に交雑して生まれたと考えられている。
現在では全国各地に植えられており、静岡県では河津町の他、南伊豆町、下田市、西伊豆町などでも見ることができる。また東京都内でも、江戸川区の旧中川や江東区の大横川などで確認されている。
このように河津桜は、観賞用の桜として親しまれているだけでなく、発祥の地である河津町の地域の歴史や文化とも深く結びついた存在だといえる。
2|河津桜の特徴(ソメイヨシノとの違い)
河津桜とソメイヨシノ(以下、染井吉野)は、どちらも自然交雑によって生まれた品種であり、共通して大島桜を親に持つ。
染井吉野はエドヒガン(以下、江戸彼岸)と大島桜の交雑種であるのに対し、河津桜は寒緋桜を親種に持つ。そのため、遺伝的な特徴や開花のしかたに違いがあり、花色、開花時期、開花の進行・期間といった特徴が差として現れている。
河津桜の花は、やや濃い桃色をしており、淡い色合いの染井吉野に比べて華やかな印象がある。この濃い花色は、親の一つである寒緋桜の性質を受け継いだものだと考えられる。
河津桜の最大の特徴は、開花開始時期が非常に早いことである。染井吉野が3月下旬から4月上旬に咲くのに対し、河津桜は2月上旬頃から咲き始める。本州において2月に安定して開花する桜は珍しく、この早咲きの性質も寒緋桜由来の遺伝的特徴であると考えられる。
さらに、開花の進み方や開花期間にも大きな違いがある。染井吉野では、花が短期間に一斉に咲くように見えるのに対し、河津桜では、同じ木でも花芽ごとに開花が進み、時間をかけて徐々に咲き進む傾向がある。
これは、河津桜が低い気温でも生長し、かつ開花できる温度も低いためである。
また、成長段階の異なる花芽が次々に開花することに加え、1つの花芽の開花期間も約2週間と長いため全体として鑑賞できる期間も長くなる。
このように、染井吉野が一斉に咲き、一斉に散る「はかなさ」を魅力とする桜であるのに対し、河津桜は咲き始めから咲き終わりまでの「うつろい」を魅力とする桜であるといえる。
3|2026年の河津桜の開花状況・予想について
本稿執筆時点(2月初旬)では、すでに河津桜の開花は始まっている。
静岡県の農林技術研究所伊豆農業センターの発表(2月4日時点)によると、河津町および南伊豆町の河口付近では2部咲き(全体の約2割が開花した状態)となっている。一方、両町とも上流部の役場周辺は、ごくわずかの開花にとどまっている。
役場周辺の河津桜の花芽は、花弁のピンク色が見え始め、蕾が飛び出したものが大半を占めている。このため、2部咲きを迎えるのはこれから1週間後と見られる。
町全体で7分咲き(ほぼ満開に見えるタイミング)となるのは、2月中旬~下旬と予想されている。
過去6年間の2部咲き日付と比較すると、今年は比較的早い傾向にあることが確認できる。また実際の開花状況は、河津桜まつり情報局の河津桜まつりライブカメラでも確認できる。
河津桜が示す地域資源活用の可能性
1|河津桜まつりの誕生
河津桜が広く知られるようになるにつれ、河津町ではこの桜を活用した地域振興の取り組みが進められた。その代表的な取り組みが「河津桜まつり」である。
この祭りは、1991年2月に第1回が開催され、当初は1か月間の来訪者数が3,000人であったが、第9回目には、来場者数が100万人を超えた。
毎年2月頃に開催され、河津川沿いに咲き誇る桜を楽しめるイベントとして、多くの人々を惹きつけており、河津桜は「早咲きの桜名所」として全国的な知名度を獲得するに至った。
実際に河津桜まつりは静岡県の主要なイベントでも客数は多く、花イベントの中では最も人気が高いことが確認できる。
このように、河津桜まつりは、河津桜の開花時期が早く、開花期間が比較的長いという特性を背景として成立したイベントである。
2|河津桜まつりによる観光振興と地域経済への影響
河津桜まつりの開催により、河津町を訪れる観光客は大きく増加した。特に、桜の開花時期には多くの観光客が町を訪れ、宿泊施設や飲食店、土産物店など一定の経済効果をもたらしている。
河津町の観光交流客数の推移河津桜まつりの経済波及効果については、2018年度(平成30年度)に河津町が行った試算によれば、その効果は伊豆半島内で212億円、町内で27億円にのぼるとされており、同まつりは伊豆半島を代表する大規模な観光イベントへと成長している。
また、一般的に2月は観光需要が落ち着く時期とされるが、河津桜まつりはこの時期に観光需要を集中的に創出する役割を果たしている。
観光の閑散期にあたる2月に開催されることで、来訪者を河津町に呼び込み、観光関連産業を力強く下支えしている点は、河津桜まつりの大きな特徴といえる。
おわりに
本稿では、河津桜の起源や特徴を整理するとともに、その開花特性を活かした河津町の取り組みに着目し、河津桜が地域資源として果たしてきた役割について考察してきた。
河津桜は、濃い花色で、早咲きかつ開花期間が長いという染井吉野には見られない特徴を持っている。こうした特徴は、鑑賞価値のみにとどまらず、観光資源としての可能性を大きく広げてきたといえる。
特に河津桜まつりは、河津桜の開花時期が観光の閑散期に重なるという条件を上手に活かし、季節性の高い観光需要を創出することに成功した事例である。
その結果、町内のみならず伊豆半島全体に経済波及効果をもたらし、河津桜は単なる桜の木ではなく、地域経済や観光振興を支える中核的な存在となっている。
河津桜は、もともと偶然発見された一本の桜から始まった存在である。それが、地域の人々の関わりや工夫によって価値づけられ、全国的に知られる地域資源へと成長してきた過程は、自然資源の活用において地域との関係性がいかに重要であるかを示している。
特に本事例は、(1)生物学的特性(早咲き・開花期間の長さ)と(2)地域主体による継続的な関与があった点、(3)観光需要の閑散期を結びつけた点に特徴があり、これらの要素は他地域における自然資源活用を検討する際にも一定の示唆を与えるものといえる。
今後、気候変動の進行により、河津桜の開花時期のさらなる前倒しや年ごとのばらつきが拡大する可能性がある。こうした変化は、祭りの開催時期や観光需要の予測にも影響を及ぼしかねない。
また、観光ニーズの変化により、従来型の「花見」を中心とした観光モデルの見直しが求められる可能性もある。
河津桜をどのように守り、環境変化に対応しながら活用していくかは、今後の地域観光政策における重要な検討課題である。
河津桜はこれからも、冬から春への「うつろい」を告げる桜として、そして地域の魅力を映し出す象徴として、多くの人々を惹きつけ続ける存在であることが期待される。
※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部 研究員 土居優
※なお、記事内の「図表」と「注釈」に関わる文面は、掲載の都合上あらかじめ削除させていただいております。ご了承ください。



