終戦後に日本軍の兵士や民間人が当時のソ連によって、労働力として連行されたシベリア抑留。気温はマイナス40℃、食料も満足にないなど、劣悪な環境のもとで森林伐採や鉄道建設などの過酷な強制労働が課せられ、5万5,000人が帰国を夢見ながら、命を落としました。

岡本幹夫さんも、そのひとりです。戦後の苦しい時期を祖母に育てられた岡本さんは父・幹夫さんが出征前に務めていた国鉄に就職。その背中を追いながらも父についてほとんど知らないまま、過ごしてきました。父の死と向き合うきっかけは、14年前、突然、やってきます。

<岡本忠さん(79)>
「厚生(労働)省から直接連絡がありまして。『お父さんはこういうところで亡くなりましたから』って、初めての話だったんですよ」


収容所に連れていかれた父は、肺を患い、闘病の末、亡くなっていたことを初めて知りました。2009年、岡本さんは、遺骨が眠っていた場所に線香をあげることができました。しかし、父が過ごした場所はすっかり変わってしまい、どんな最期を迎えたか、までは分かりませんでした。