2025年は戦後80年です。従軍カメラマン柳田芙美緒は部隊の戦闘の合間の様子をありありと記録しました。戦後に生まれた娘が、静岡県焼津市の自宅で残された写真に囲まれて暮らしています。
飯盒を手に笑顔で食事をする兵士たち。戦場で入る風呂は彼らにどれほどの安らぎを与えたのでしょうか。撮影したのは今の焼津市出身の従軍カメラマン柳田芙美緒です。
<野路穀彦 記者>
「失礼します。きょうはお話を伺いにまいりました」
芙美緒の三女、夕映さんです。
<野路記者>
「こちらに戦争当時の写真がたくさん掛けてあるんですね」
<柳田夕映さん>
「こちらは居間ですが床の間にあつらえました。家の中に英霊が、あるいは戦友が帰ってきて一緒に住んでいる。そのような意識なんです」
柳田芙美緒は陸軍静岡連隊付きの写真師でした。出征する兵士を撮影していましたが、共に行動したいという気持ちが募り、命じられたわけではないのに満州に向かう連隊に付いていくことを決意します。芙美緒は戦闘を撮るのと同時に生死を共にする戦友の表情を同じ目の高さで捉えました。
戦場の写真は空襲で焼失したと思われていましたが、戦後、写真がぎっしりと詰まったトランクを10歳の夕映さんが防空壕の跡で偶然見つけました。
<柳田夕映さん>
「(父は)『これらの写真を世に出すために自分は今まで生かされてきた。これらを編さんするために生かされてきた。父のいることを忘れてくれ』」
芙美緒は、ネガの復元作業に3年の間 専念しました。
<芙美緒の詩>
「栄えある祖国のために戦った。生きのこる人々のために死んだ。その人達のかなしみを背負って生きる」
2万点とも言われる写真は神社の一角にあった写真室に収蔵されていましたが、建物は老朽化により取り壊され、今は一般公開されず夕映さんの住まいにあります。
<野路記者>
「図書館や資料館に寄贈することは考えなかったのでしょうか?」
<柳田夕映さん>
「(図書館などでは)終戦記念日、往々そうですね。その段階でまつり上げるように展示をしていく、あとの11か月以上は倉庫に眠らせると。写真でも生きているので、この時代の空気を深呼吸させてあげたい。父が何を訴えて記憶に残したかったか。それが分かるのは私だけではないか」
夕映さんは残された写真と言葉に向き合い続けています。
柳田芙美緒さんは数多くの詩や従軍を振り返る文章を残しています。夕映さんは写真と詩と文章を合わせた展示ができないかと考えています。