金城文子さん
「もう、あのときは、自分の山小屋から(出て)食べ物探すのが、苦労でした非常に。アメリカがこっちに駐屯しているから、みんな目光らしてるわけ。女を見たらもうすぐ捕まえて、私たちの覚えている人で2人とも女捕まえられてね、すぐ強姦事件ですよ」

米兵による性暴力。こうした証言は、名護市がまとめた戦争証言集にも、複数記録されています。

「(強姦した人には)食べ物いっぱいあげるわけ。ご馳走も弁当とか、こんなのでくれた。年寄りであろうが、若い者であろうが、女だったら、みんなやりよったよ。アメリカは」

米軍は戦闘の妨げとなる民間人を保護するため、北部・やんばるを中心に、12か所の民間人収容地区を設置しましたが、収容所内でも性被害は絶えませんでした。
戦後、文子さんは、米軍の食料配給所だった場所に、沖縄そばの店を構え、人々に笑顔を届け続けています。

「こっちに建物あるところでね。 アメリカが食事運ぶから、ここ事務所にしようねっていうことを言われたから、自分もまた手伝いさせられて。アメリカ世になったんだねという感じがね。本当にもう怖かったけど。変な変な戦争だったと思うさ」

――戦後80年経った今、思うことは?
「二度とこういうのが起こったらもう大変なことだけどねって、自分たちの時代で終わって、孫たちに関係したら困るねーという気持ちはありますね。今、もう戦争の話、しょっちゅうしてるさぁね。 こわいさ、だから」