戦争を体験した人やその意思を継ぐ人、それぞれの思いをシリーズでつなぐ「#あなたの623」。
今回は、生まれ育った集落の沖縄戦をめぐる証言を記録し続ける山城正夫さんです。
証言の先に「顔を知らぬ父の姿」を追い求めました。

▼山城正夫さん
「もう毎日のようにいい遊び場だったから、今、こうして太陽が降り注いでいますけどね。 ガジュマルがここにもここにも、こっちもあったかな」
山城正夫さん、81歳。現在のうるま市石川山城で生まれ育ちました。
山城さんと訪れたのは、ビンジリモーという、集落の守神が祀られた場所。
山城さんの遊び場だったこの場所は、沖縄戦と深く結びついた場所でもありました。
▼山城正夫さん
「戦前はここで出征兵士を送る会ということで、兵隊に召集令状が来ると、もう何日に来いという命令ですからね。もうここで慌ただしく、壮行会をやったということなんです」

このビンジリモーでは、沖縄戦の前後で出征時の状況に変化がありました。
▼山城正夫さん
「明治の頃、徴兵検査が沖縄でも行われたわけですけど、最初の頃は徴兵忌避とかですね。 徴兵が嫌だとか言って拒否したりとか、あるいは指を切ったりとかが山城(地域)でも実際にあった。 人差し指を切るとかね。 あるいは何か毒物を飲むという形で、この戦争の徴兵を拒否したという話を聞いています」
「こうして徴兵検査を受けに村から何名か行くと、ここで(ビンジリモー)みんな待っていたらしいですね。 徴兵検査合格したと聞いたら、みんな泣いたと言ってます。号泣したと。しかし、昭和に入ってからは、これはもう許されなくなったわけですよね。もう笑顔で、天皇陛下のために尽くして戦場に行くという、そういう時代になっていったということなんですね」