沖縄戦などで家族3人を亡くした女性が自らの体験を「琉歌」につづり、曲がつけられました。女性が琉歌に込めた思いをお伝えします。

島袋安子さん
「本当に辛い思い、言いたくもなかったのが、こんなにまでみなさんのおかげでこれだけやれたので生き残されたのかねと思います」

読谷村で生まれ育った島袋安子さん・91歳。去年、自身の戦争の記憶を沖縄の言葉でつづり、八・八・八・六音の琉歌にしました。

島袋安子さん
「また戦争の時代が来たら子や孫たちどうしようと。これが(その思いが)重なってこれ(琉歌)はできたと思います、まとめるということは」

タイトルは「戦争華(いくさばな)」。戦争で命を落とした家族への思い、島袋さん自身の体験、平和への願いが表現されています。

太平洋戦争で父と2人の兄を亡くした島袋さん。父は沖縄戦の空爆で、1番上の兄はパプアニューギニアの戦場で命を落としました。3番目の兄は出征したきり消息が途絶えています。

島袋安子さん
「これ(長男)に酒盃。とっても喜んでいましたよ。甲種合格(即入隊可能の判定)して」

戦場へ向かう長男に、父が酒を酌み交わす。その様子を見て、ただ涙を流す母。そんな家族の姿が「戦争華」につづられています。

島袋安子さん
「父ぬ酒盃ゆ 聴ちょる母親ぬ 哀なしぬ姿 皆袖を濡らち」
(父と酒を酌み交わす兄 そばで話を聴く母 悲しむ姿を見て みんな涙で袖を濡らす)
「誰も何も言いません泣くだけでした」

島袋安子さん
「愛し父兄弟ぬ姿偲でぃ」
(愛しい父兄弟の姿を懐かしく思い出す)」

戦争が終わっても帰ってこなかった家族。やんばるの山へ身を隠し、命をつないだ自身の体験。およそ80年、語れずにいた記憶と思いが込められた琉歌に、オリジナルで曲がつけられることになりました。

作曲を手掛けたのは、RBCiラジオの長寿番組「民謡で今日拝なびら」のパーソナリティとしても活躍する民謡歌手・仲宗根創さんです。

仲宗根創さん
「今でも記憶をはっきり覚えていて、それを歌詞としてつづってくれているのはありがたいことで。やっぱり戦争って(私は)体験してないじゃないですか」
「安子さんが語ってくれた口をかりて自分も一緒に歌う。安子さんの気持ちが伝わったらいいなと一番心がけました」

音楽イベントを通じて戦争華を知った仲宗根さん。およそ1年かけて島袋さんの戦争体験に向き合い、メロディーを完成させました。そして先月、曲を披露するため島袋さんの自宅へ。

島袋安子さん「お元気そうで」
仲宗根創さん「ゆっくりお会いするのは1年ぶり。長いことなってごめんなさい」

島袋さんと地域の人たちが見守る中、完成した曲が披露されました。

「思ゆらん戦争 忘てぃわしらりみ 二度とぅ無ん事に 語り継がな」
(思いもよらない悲惨な戦争を 決して忘れられない 二度と起こさないように 語りつごう)

「父ぬ酒盃ゆ 聴ちょる母親ぬ 哀なしぬ姿 皆袖を濡らち」
(父と酒を酌み交わす兄 そばで話を聴く母 悲しむ姿を見て みんな涙で袖を濡らす)

島袋安子さん
「お父さんお兄さんたちが今日は自分たちの無念を晴らしてもらってみんな喜んでいると思います」「平和な世界を願ってこの歌に託したいと思います」

仲宗根創さん
「安子さんが発信してくれた思いを受け止めて」「この歌で平和を発信していけたらなという思いになりました」

戦争の痛みを、自らの言葉でつづった島袋さん。その痛みに寄り添い、音をつむいだ仲宗根さん。二人の心が重なって生まれた「戦争華」は、未来へと歌いつがれていきます。

【記者MEMO】
島袋さんたちは今後、沖縄戦などの戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」を前に、「戦争華(いくさばな)」の演奏会をしたいと話していました。