太平洋戦争の終戦から8月15日で78年です。年々、戦争体験者が減少するなか、証言を集めて後世に伝えようと取り組む男性の思いに迫りました。
由布市在住の亀田雅弘さん(32)。保健師として働く傍ら、4年前から大分県内の戦争の歴史を研究する活動を進めています。

(亀田雅弘さん)「当時、学徒動員された方の空気感やどのような思いであったか、当時の方しかわかりませんし、その体験談を聞こうと思う」
この日、亀田さんは学徒動員を経験した別府市の西原清介さん(94)のもとを訪ねました。西原さんは旧制別府中学3年時の1945年、大分市にあった第12海軍航空廠の補給課に駆り出され、戦闘機の整備などにあたりました。

(亀田雅弘さん)「西原さんたちは整備員に混じって整備していたんですか?」
(西原清介さん)「試運転すると(機体の)お尻が上がる。(傾かないように)飛行機の最後尾に2人でまたがって乗って、寒かった」
「戦争に負けたと聞いても無念の感情は全くわかず平静そのもの」
西原さんはその後、海軍兵学校最後の78期生として長崎、山口に移り、終戦の日を迎えます。
(西原清介さん)「(山口では)連夜、空襲警報が鳴って、衣類その他全部焼失して非常に残念なことであった。校舎の中で『日本は戦争に負けた』と聞いた。憤りも悔しさも悲しさ、無念、残念という感情は全くわいてこなかった。ただ平静そのもの」
