「本当に小学校で大丈夫かなと思いました。海が意外近いので、頑丈でも本当に大丈夫なのかと不安がありました」

港町の多くの人が避難してきたという校舎。中には車で避難してきた人もいました。
避難した人
「階段上がるときに『大丈夫か、大丈夫か』って皆が心配してくれて。健康な人なら駆け足でもいけるけど、それこそ2、3分歩くだけでアップアップになるでしょ… とてもじゃないけど、私なんかだめだね」
一方、河口付近の別の住民は…
避難せず家の中にいた人
「古城小学校の避難所?私は行きません。行く時間がなかったの。避難所が遠すぎます。学校は安心できない。まだあそこも低いですしね。車を置けないし…」

河口付近の住民にとって、自宅から近いのは4か所の津波避難ビルですが『少し離れた校舎を目指す』という認識を持っている住民もいました。
なぜ津波避難ビルではなく、より離れた学校だったのでしょうか?
かつて町内会長を務めていた大石一夫さんに話を聞きました。

大石一夫さん
「佐渡汽船ターミナルは海の方向にあって、津波警報が出ているのにそちらに避難するのは怖い」
自宅より海に近い佐渡汽船ターミナルに向かう恐怖感や、人が住んでいる寮や賃貸住宅に避難する遠慮などがあったようです。