現在の新潟市東区臨港町にあった斎田英司さんの自宅周辺は、電柱が何本も倒れ、押し寄せた津波とタンクから漏れ出した重油でいっぱいになっていました。
斎田さんはパニック状態のまま真っ黒な水の中に飛び込み泳いで逃げたそうです。

「死を感じていたのか、ともかく逃げるしかないと。もう必死でしたね」
泥まみれ、油まみれで真っ黒になった斎田さんは、当時小金町にあった新潟大学農学部に避難。その姿を見かねた人から声を掛けられたそうです。

「なにか力になることないかと。『うちのお風呂に入りなさい』ということで入れてもらった。本当にありがたかったですね」

高台に住む人たちが、おにぎりやみそ汁などの炊き出しも用意していたそうです。
当時船で外国に行っていた父親を除く家族全員と、斎田さんは避難所で再会が叶いました。

「良かったな~と思ったんだろうけど、やっぱり緊張感が解けたのか…、記憶があまりないんですよね」