1993年3月6日に「政界のドン」金丸元副総裁が脱税容疑で逮捕された。

このときの総理大臣は“金丸嫌い”と言われていた宮沢喜一。法務大臣は宮沢内閣の番頭、元警察庁長官の「カミソリ後藤田」だった。2人の共通点は、東大法学部を卒業、官僚出身のいわゆるエスタブリッシュメント。一方、その対極にいたのがゼネコンからの献金をバックに絶大な影響力を持つ「寝技師」の金丸信だった。くしくもこのエリート2人と、たたき上げの金丸信が対峙した。

それは事件にどんな影を落としていたのだろうか、関係者の証言で検証する。

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動いていた宮沢総理大臣の秘書官

金丸脱税事件は、徹底した「保秘」を貫いた隠密捜査で進められたが、もしかすると「情報」が漏れていたのでは、と思わせる出来事が起きていた。

それは金丸逮捕から遡る2月のある日、特捜部と連携して極秘捜査をしていた国税庁に一本の電話が入った。電話をかけてきたのは、宮沢喜一総理大臣の「総理秘書官」だった。大蔵省から官邸に出向していたキャリア官僚だ。

「何か大物国会議員の脱税を調べてないですか」

「総理秘書官」と言えば、超エリート。国税庁は大蔵省の外局であり、この「総理秘書官」もかつて国税庁への出向経験もあって知り合いも多く、国税庁は「自分の庭」だった。そのため、何度も電話が入っていたというが、関係者によると「総理秘書官」は、捜査対象が「金丸」であることは、まだ知らなかったようだ。

それから数週間、驚くべきことに「総理秘書官」は金丸逮捕の前日、3月5日(金)夜に、ある検察幹部を食事に誘っていたことがわかった。

出来すぎた話だが、この段階になると、「総理秘書官」は何らかのルートで、捜査の本丸が「自民党 金丸元副総裁」であることを、すでに掴んでいたようだ。

しかし、強制捜査着手、逮捕のタイミングだけは、まだわからなかった。検察に聞くしかない。

 そのため「総理秘書官」は、検察幹部から、強制捜査着手の時期、タイミングを探ろうと、たまたま3月5日(金)の約束で、事前にアポを入れていたのだ。

そうして、この夜の情報収集で「明日6日(土)に強制捜査着手」という感触を得たと見られる。

では「総理秘書官」は「金丸捜査」の情報をいったい、いつ、どういうルートで入手したのだろうか。