東京地検特捜部と国税当局は、年明けから金丸が「割引債券」を購入していた「日本債券信用銀行」に対する内偵捜査を進めていた。この過程で「日債銀」から情報が漏れたのだろうか、、、しかし「日債銀」であれば、特別な「顧客」である金丸側への「ご注進」は考えられるが、官邸に漏れるというのは考えにくい。


関係者によると「総理秘書官」が「金丸情報」を入手できたのは、次の2つのルートからだった。
ひとつは金丸逮捕の2日前、3月4日の第一回目の「検察首脳会議」が「出どころ」だったのではないか。
首脳会議には検察庁だけでなく、法務省から刑事局幹部も出席し、政治情勢と捜査進展を踏まえた意見を述べる。その上で、法務大臣にその内容を報告することになっている。
これは検察庁法の「法務大臣の指揮権」の実効を確保するための、実務の慣行である。
当時の法務大臣は切れ味鋭く、「カミソリ」と呼ばれた後藤田正晴だった。元警察庁長官で、中曽根内閣の官房長官や、宮沢内閣では副総理も兼務した大物大臣だ。
晩年は折に触れて政界のご意見番として、TBS「NEWS23」にも出演いただいた。
3月4日の第一回の検察首脳会議の結果は、法務省刑事局から、ただちに以下の内容が後藤田法務大臣に報告されている。
「金丸を脱税容疑で立件する方針」「着手のタイミングは特捜部に委ねる」
時の内閣総理大臣は自民党「宏池会」会長の宮沢喜一。金丸立件の方針については、宮沢を支える法務大臣の後藤田から当然、報告を受けている。
ここからは推測だが、おそらく宮沢総理は、大蔵省の後輩でもあり、信頼する最側近の「総理秘書官」にも伝えたのではないだろうか。
法務省刑事局から後藤田大臣、後藤田大臣から宮沢総理大臣という大臣経由の「報告ライン」だ。
そしてもう一つのルートは、それより前の3月2日のことだ。特捜部の五十嵐らは、この日に開かれた最高検の検察首脳らとの「極秘会議」で、金丸の強制捜査に着手することを報告した。その際、最高検からは「法務省、つまり法務大臣への報告は最高検がやっておく。特捜部は、法務省から問い合わせがあれば、対応すればよい」と言われたという。これは政治家がらみの事件では通常のことであった。
ただ、その時の五十嵐のメモにはこう記されていた。