「検事長の予定を調べると、ちょうどいい具合に3月5日(金)、6日(土)に山梨県への出張が入っていた。これを利用し、その前の3月4日(水)に、検事長が入る「第一回目の首脳会議」を開催する。ただし、そこでは「立件の方針」のみ了解を取る。そして、強制捜査着手は、検事長が東京にいない3月6日(土)を想定する」(五十嵐元特捜部長)

五十嵐らは、検事長が東京にいなければ、5日から6日にかけて記者と接触する機会もなく、情報は漏れないだろうと考えたのだ。着手予定当日、6日は出張先でゴルフとなっていた。

そしてシナリオ通り、3月4日の「第一回目の首脳会議」が開かれ、検事長も出席した。会議で五十嵐らは以下の内容を報告し、了承を得た。

「元秘書の逮捕と、金丸ら関係者の取り調べ及び関係先の捜索差押を実施」

「強制捜査着手は予算案の衆院通過を待って行う」

つまり、五十嵐らは、配布した報告書には、「元秘書」については「逮捕」するとはっきり記載していたが、金丸本人については「取り調べ」と表現していた。要するに金丸本人については「逮捕」はしない、とも受け取れるあいまいな表現を使ったのだ。

また着手のタイミングは「予算案通過を待って」あとは特捜部に委ねる、という内容だ。うまい工夫だった。

このため首脳会議に出席した検事長は「元秘書を逮捕する」ことは認識したものの、金丸本人の逮捕までは頭になかった。検事長はまさか自分の出張中に金丸を逮捕するとは、まったく想像もしなかっただろう。

現実はこの通りになった。検事長は3月5日(金)から1泊2日の出張に出掛けた。

そして迎えた3月6日(土)の午後3時、「強制捜査着手」の最終的なゴーサインを得るための「第二回目の首脳会議」が開かれた。もちろん出張中の検事長の姿はなく、「金丸逮捕」が、最終的に認められたのだ。 

五十嵐らは検事長の日程をかいくぐり、捜査報告書の書きっぷりを練り上げ、検事長への報告を必要最小限にとどめることによって「情報漏れ」を抑え込んだのだ。

山梨県のゴルフ場(資料)      
1993年3月のカレンダー

「着手日」の決定については、もう一つのハードルがあった。
この時期、新年度予算案の国会審議が、衆院予算委員会で佳境を迎えていたのだ。仮に予算案審議中に強制捜査に踏み切り、金丸を逮捕した場合、審議がストップすることになり、混乱が生じる恐れがあった。
特捜部は政治家をターゲットにした事件に着手する際は、国会審議や選挙など政治への影響を極力排除している。

「当時は政治日程のスケジュールを見ながら捜査をやっていた。それは国民から『なぜこの時期にやるのか』と疑念をもたれないよう、細心の注意を払わないといけないから」
(元検察幹部)

国民からみた捜査が「政治や選挙への介入」だと受け止められると「検察ファッショ」だと批判されるからだ。

いよいよ3月6日、予算案は午後3時30分頃に衆議院予算委員会を通過、本会議は午後4時に開始と同時に議場が閉鎖された。特捜部は、議場が閉鎖されれば、可決は確実だろうと判断し、逮捕令状の請求手続きに入った。