30年前の1993年3月6日、「政界のドン」金丸信元副総裁が脱税容疑で逮捕された。捜査にあたった東京地検特捜部は、少数の極秘捜査チームを編成し、「情報管理」を徹底しながら隠密捜査によって逮捕、起訴にこぎつけた。
しかし、金丸逮捕に向けて五十嵐特捜部長らを悩ませていたことが、一つあった。
日頃から、ある検察首脳の「口の軽さ」を警戒していたのだ。着手前に外に情報が漏れることは絶対に許されない。そこで五十嵐らは考えた。今だから明かされる秘策とは・・・
<全10回( #1 / #2 / #3 / #4 / #5 / #6 / #7 / #8 / #9 / #10 )敬称略>
特捜部が警戒していたある検察首脳
金丸逮捕は、事前に情報が漏れなかったことが、無事に摘発にこぎつけた勝因であったことは前述の通りだ。筆者ら司法記者クラブの報道各社は、どこも気づくことはまったくできなかった。完全に検察に出し抜かれた形だった。
実は五十嵐特捜部長らは、普段から「口が軽い」と思われていた検察首脳からの「情報漏れ」に、細心の注意を払っていたことがわかった。その舞台裏を検証する。
当時、筆者ら司法記者には欠かせないニュースソースの一人だった検察首脳がいた。東京高検の「検事長」である。検察組織のナンバー2のポストだ。当時、検事長は目黒区八雲の検事長官舎に住み、毎晩、夜回りにきた記者に積極的に対応してくれていた。筆者らは「夜の八雲の会見」と呼んでいた。
この空間は、決して外してはいけないマストの夜回り先の一つだった。なぜなら、検事長は、かなり踏み込んだ捜査の進捗状況を語ってくれることがあり、非常にありがたい存在だったからだ。時には「主観」なのか、「ファクト」なのか、精査は必要だったが、かつて特捜部長も経験している検察組織ナンバー2の発言は重みがあった。
一方、特捜部は数年前からこの検事長がしゃべりすぎること、「口の軽さ」を警戒していた。特捜部が東京高検に報告した捜査報告書の中身が、そのまま特定のマスメディアで報じられたことがあった。さらに特捜部から東京高検に上がった報告書に「誤記」があり、その「誤記」がそのまま記事に載ったこともあった。
また「東京佐川急便事件」で、ある新聞社が一面トップで、ある総理大臣経験者に関する捜査情報を報じたが、これがのちに「誤報」だと判明した。
関係者によると、これには検事長がリーク元であることを特定するために「ニセ情報」が仕掛かけられたとの説もあるが、いずれにせよ情報は検事長から流れていた。
あおりを受けて「誤報」を書いた新聞社は、のちに社会部長が総理大臣経験者の事務所を訪れて謝罪したという。
五十嵐は振り返る。
「誤報を書いた新聞社の記者からは、事前に確認を求められ、その事実はないと断言したにもかかわらず、記者が自分より検事長を信頼して記事にした」
検察による「ニセ情報」仕掛け説について五十嵐は否定するが、この件もあって「検事長から捜査情報がリークされているのでは」と日頃から疑っていたのだ。五十嵐だけでなく、他の検察首脳らも検事長の「口の軽さ」に神経を尖らせていた。
とはいえ、東京地検特捜部が政治家の事件に着手する際には必ず、上級官庁の東京高検、最高検、法務省の承認を得ることになっている。検事長はその「検察首脳会議」の出席メンバーとして事前に報告を受け、了承する立場にあった。
そこで五十嵐らは検事長に「金丸逮捕」「着手日」を事前に知らせないために、何かいい方法はないか悩んでいた。

「3月5日、6日に山梨に出張が・・・」
そこで、妙案が浮上する。五十嵐らは3月2日(火)、検察トップの検事総長ら検察首脳4人と、金丸逮捕に向けた極秘の会議を開いて「検事長」対策を話し合い、ある秘策をひねり出した。