犯罪被害者の遺族 堤敏さん
「野球とバイクが大好きで、本当にどこにでもいる男の子、どこにでもいるような普通の高校生でした。
息子が受けた傷は、どれもが目を覆うほどひどいものでした。どれだけ痛かっただろう。どれだけ苦しかっただろう。どれだけ辛かっただろう、どれだけ怖かっただろう。今考えてみても、息が詰まる思いがします」
事件の翌日、司法解剖を終え、亡くなった息子を家に連れて帰り、リビングの真ん中に敷いた布団の上に寝かせた時、堤さんは初めて涙が出たといいます。

堤敏さん
「私達家族は搬送された病院でも、司法解剖を終えて迎えに行ったときも、息子に声をかけ、話しかけました。名前を呼び、声をかけ続けました。しかし、息子は答えてくれず、生きている時のぬくもりはなく、触った瞬間、冷たさだけが伝わってきました。
この夜のこの時間が、私達家族が息子の死というものを受け入れさせられた時間だったのかなと、今となるとそう思います」
経験したことのない深い悲しみと喪失感。現場に駆け付けた時、変わり果てた姿で路上に倒れている息子に、何もできなかったという後悔の念。
堤さんはついには感情のコントロールもできなくなり、体重の激減や肝機能の低下、椎間板ヘルニアなど体調にもその影響が現れ始めました。
生きる気力を失った堤さんをさらに追い詰めたのが、掲示板サイトなどへの書き込みによる誹謗中傷です。