“家族”の写真が次々と…「ここに来れば会える」

自宅跡のすぐ近くに、理恵子さんにとって、もうひとつ大切な場所があります。公園内にある施設「追悼平和祈念館」です。

(鈴木理恵子さんと息子の裕樹さん)
「『50年後白血病を発症、1年後に亡くなりました…』」
「おじいちゃんな…」
「で、これがひいおじいちゃん。43歳(で亡くなっている)。即死、被爆死」


原爆で亡くなった人々の写真やプロフィールが、デジタルで保存されているのです。

名前で検索することができ、理恵子さんの父親、「いのうえこうじ」と打ち込むと…公治さんの写真や情報が表示されます。


亡くなった父親、祖父母、伯父の写真も収められ、理恵子さんは広島に来ると必ずここを訪れます。

(被爆2世 鈴木理恵子さん)
「みんな家族…」

息子の裕樹さんにとって、初めて見る写真。そして自分もあの原爆とつながりがあることを知りました。

(息子の裕樹さん)
「『会ってみたかったなあ』って思いました」

(被爆2世 鈴木理恵子さん)
「寡黙な父だったけれどすごく優しくって…ここに来たら、広島に来たら会える」

ここには原爆で亡くなった方の遺影が、この日の時点で2万6633人分おさめられていました。

追悼平和祈念館によりますと、登録は名前だけでもかまわず、毎月100人ほどの新たな登録申請があるということです。そしてその数は、毎年夏に増えるそうです。