息子と“ヒロシマ”へ…

8月5日、広島を訪れた鈴木理恵子さん。
(被爆2世 鈴木理恵子さん)
「いつかは息子と訪れたいと思ってたんで」
(息子の裕樹さん)
「参列するのは初めてです」

父のことを知ってからは毎年広島に来ていますが、今年初めて、34歳になる息子の裕樹さんを連れてきました。4歳の孫娘も一緒です。
学童クラブの子どもたちが折った、タンポポ色の折り鶴を供えます。

そのあと向かったのは、今は平和公園の中にある、かつて祖父母や父の家があった場所です。爆心地からわずか250メートルの旧中島本町です。原爆が落とされる前まで、広島で最も賑やかだった繁華街で、祖父母はカフェを営んでいました。


(被爆2世 鈴木理恵子さん)
「原爆が落とされてなかったら、ここにおじいちゃんおばあちゃんのお店があった。あったんやな」
伯父の手記にも街の地図が。自宅のすぐ前には、映画館や商店が軒を連ね、ここには確かに“人々の営み”があったことがわかります。

終戦後、孤児となった父と伯父は、バラックを建て、戦後の混乱期を二人で生き抜きました。
