一言も語らず…“被爆者”だった父

(鈴木理恵子さん)
「父が亡くなって遺品整理をしているときに被爆者手帳が出てきて、そのときに初めて、『あっ被爆者だったんだ』と知って」

父の白血病は、闘病中に「被爆の後遺症」と認定されていました。

(鈴木理恵子さん)
「被爆2世ということで、私の将来のこととか気にかけていたので、誰にも言わなかったじゃないかと思っています」

全く知らなかった父の話。

その後、一緒に被爆した父の兄、自分にとっての伯父、雅美さん(2000年に死去)が残した手記を読んで、詳しい状況を知ることに。

(伯父の手記より)
「とにかく見たものでないとわからないが、美しい煙が、地上からむくむくと…」

黒く塗りつぶすように“きのこ雲”が描かれています。

「苦しい、苦しい…」
「水、水、水をちょうだい」

手記には、全身にやけどを負った人々が苦しむ様子などが記されています。

父の死がきっかけで、それまで単なる歴史上の出来事だった原爆が、自分と直接繋がっていることを知ったのです。