世間は「“死んだも同然”の扱い」置き去りにされた元兵士たち
精神疾患を起こした兵士たちは戦後、どのような道を歩んでいったのか。

東京・小平市に開設された「武蔵療養所」。終戦の年までに1000人近い兵士が入所し、多くの人が何十年にもわたる、療養生活をここで送った。
兵士たちを30年近く支援してきた、元職員の古屋龍太氏に跡地を案内してもらった。

精神保健福祉士 古屋龍太氏
「入ってすぐここに大きな体育館があって、元兵士も参加した合唱祭が毎年行われていた。『ラバウル小唄』『麦と兵隊』など、昔の軍歌を歌った」
その光景を記録した映像が残されている。
1970年から15年間にわたり、TBSの吉永春子ディレクターが「武蔵療養所」の元兵士の姿を追ったドキュメンタリー。
1970年の放送「未復員」より
当時のナレーション「この療養所に“未復員”と呼ばれる人々がいる。戦争中、軍務に服しながら精神障害を起こした人たちがそれである」
ある元兵士は淀みなく、「軍人勅諭」を暗唱した。
彼らは戦後25年が過ぎても、戦争体験を引きずったまま、ここでひっそりと暮らしていた。
精神保健福祉士 古屋龍太氏
「皇軍の兵士としての自意識はとても強い方々が多かった。すでに戦後ずっと経ているのに、この意識は変わらないんだというのはとてもみんな不思議ではありました」
彼らを見てきた看護師たちが、当時の様子を語った。
元武蔵療養所 看護師 新美マスミさん(85)
「特攻隊帰りの人がいたね。あの人すごいいい人なんだけど、突然暴力的になるのね、カーッとなって。気の毒だった」
──皆さん、こういう方々に戦争のお話を聞いたことはありますか?

元武蔵療養所 看護師 北澤志津枝さん(86)
「30年、40年経っても、心の傷として残っているのがあるから、話さないけれども、やっぱり気持ちの中でね」

元武蔵療養所 看護師 新美マスミさん(85)
「片腕のない人がいたでしょ。シャキッとしてた人。あの人絶対言わなかったもんね。腕のことも言わないし、絶対言わなかったよ。多分本人のなかでは相当あったんだろうとは思うけどね」
武蔵療養所では、農業などの作業療法を取り入れ、元兵士たちの社会復帰を後押ししようとした。だが、彼らを「恥」とみなす世間の風潮は根強く、それは家族も変わりなかった。
――家族は面会に来ていた?
元武蔵療養所 看護師一同
「ないねえ…聞いたことない」

元武蔵療養所 看護師 新美マスミさん(85)
「もう預けたままという感じで、昔はもう“死んだも同然”の扱いだった。あんまり聞こえがよくないから。特に地方の人はね。ここは地方の人もいたからね」

















