精神疾患の兵士はタブー視「名誉の負傷というよりも恥」

兵士たちのカルテのコピーが千葉県内の浅井病院に保管されている。

浅井病院 長沼吉宣さん
「8002人の病床日誌になります。終戦当時(軍から)『焼却処分しろ』という命令があったが、(浅井病院の)初代理事長の浅井利勇らが『焼却するには忍びない貴重な資料だ』と、ドラム缶に入れて庭のどこかに隠したらしい」

カルテを隠して今に残した軍医のひとり、浅井病院の初代院長・浅井利勇氏。自らの著書でこう述べている。

「これらの患者は、考えてみると大戦がなければ、或いは彼等が経験したような人生の悲劇をせずに済んだかもしれない」

利勇氏の孫にあたる現理事長・浅井禎之氏は次のように語ります。

浅井病院 浅井禎之理事長
「軍の命令に背くというのは、命がけの行為だったと思います。患者さん一人ひとりの叫びも刻まれていますし」

残された8002人分のカルテ。そこには戦地での加害行為などにより、精神に異常をきたした兵士たちの声が細かく記録されていた。

上等兵 29歳
「山東省に於いて良民六名を殺したることあり、之が夢に出てうなされてならぬ」
二等兵 24歳
「許して下さい、何も悪いことはしておらんです、殺されるようなことはしておらんですから」

戦場で負傷してから不眠の症状が現れた上等兵は。

上等兵 23歳
「どこからか父の声や兄の声が聞こえてきます。死ねと云うであります。今日は殺されるような気がして」

当時、精神疾患の兵士たちに有効な薬や治療はほとんどなかった。そんな中で頻繁に行われていたのが「電撃療法」だ。

1930年代半ばに開発された治療法で、こめかみに機械をあて、電気を流し、脳の機能の回復を促す。

戦後、国府台病院に勤務し、電撃療法を間近で見てきた元看護師の久保栄子さんは。

元国府台病院看護師 久保栄子さん(88)
「わーって叫ぶんです。そのあとすぐ体を横に向けて、もちろん固定してます、私たちも手で押さえたり。横になってから泡取って、窒息するから。電撃療法は患者さんは『嫌だな』って皆嫌がる。『治るから』って婦長さんが言って」

だが、症状の改善は難しく、原隊に復帰できる兵士は少なかった。

国府台陸軍病院の近くで生まれ育った平井宏冶さん(85)。
当時、地域では病院や兵士たちのことを語るのは、タブーだったと言う。

平井宏冶さん(85)
「箝口令というか、触らないんです。(親に)聞いても『知らなくていい』って言い方される」

軍はなぜ兵士たちの存在を隠そうとしたのか。戦争トラウマに詳しい専門家は…

埼玉大学 細渕富夫 名誉教授
「精神疾患については名誉の負傷というよりも『恥』。本人にとっても恥、郷里にとっても恥。少なく、見えなくすることが軍上層部の方針としてあったと思う」