太平洋戦争で激しい戦いが繰り広げられたフィリピン・セブ島で、数か月にわたって山中をさまよいながらも、生還を果たした男性が岡山県にいます。男性の命を救ったのは、当時敵対する立場にあった現地の住民でした。

かつて海軍の機関兵だった平井孝雄さん、100歳です。81年前、当時日本軍が占領していたフィリピンのセブ島で、上陸してきたアメリカ軍を迎え撃った一人です。

平井孝雄さん
「セブ島は小さいから逃してくれるかなと思ったら、そうじゃなかった。飛行機の音がいちばん大きい」

アメリカ軍の猛攻。海軍部隊は太刀打ちできず、撤退を指示します。

平井さんは、山の中、行く当てのない逃避行を余儀なくされました。道中、飢えやマラリアなどの病と並んで脅威となった存在がいたといいます。

平井孝雄さん
「(山中では)アメリカ軍と戦闘をしたことがない。ほとんどゲリラ兵。やられたのは」

武装し、ゲリラ兵となっていたセブ島の住民でした。1942年、日本軍はフィリピン制圧の拠点にとセブ島に上陸し、抵抗する住民たちを攻撃。日常を奪われた住民にとって日本軍は「侵略者」でした。

平井孝雄さん
「貧しい格好をしていても、(米軍から)兵器を渡されとる。敵になってしまった」

平井さんは、わずかな湧き水や果物を口にして生き延びていましたが、ついに体力は限界に達します。

平井孝雄さん
「手榴弾をもらって自決するか、そのまま死んでいくか」

その時でした。

平井孝雄さん
「6人家族だった。通り道だった」

声をかけてきたのは、当時敵対する立場にあったフィリピン人の一家でした。警戒する平井さんに、無言で食糧を差し出したといいます。

平井孝雄さん
「うれしかったんじゃ。次に来るときには、つぼに半分ほど塩を入れたやつを持ってきてくれた。自分の家族が遠方から来てくれるような」

不足していた塩分を補い、一命を取り留めた平井さん。一家の自宅で静養した後、すでに降伏していた日本軍に合流し、終戦からおよそ4か月後、帰国を果たしたのです。

平井孝雄さん
「自分の国でよその国同士が戦争して。あの境遇で我が子のようにしてくれた」
「相手が敵になってしまう。人間は一つも憎くない、なんぼ戦争だといっても。国が仇のように思わせてしまう」
「よく生きて戻れた」

敵、味方である前に、同じ人間同士。そんな当たり前のことすら見えなくしてしまうのもまた、戦争の恐ろしさです。