異郷に散った七人のサムライたち

当時の宮城県監獄署は、現在の東北大学片平キャンパス付近(仙台市青葉区)にあった。高い板塀とからたちの植え込みで囲まれたその場所から、彼らの東北での「囚人生活」が始まった。

宮城県に送られた国事犯は305人。その多くは、最後まで武士として戦った者たちだった。

しかし、慣れない北国の気候や獄中生活、あるいは戦いでの傷が癒えぬまま、病に倒れる者も少なくなかった。

宮城県監獄署

全国で収監された国事犯約2700人のうち、獄中で亡くなったのは約150人とされる。宮城では13人が帰らぬ人となった。

当時、13人の墓は監獄署に近いこの瑞鳳寺に建てられた。うち6人は遺族に引き取られたが、7人は残された。瑞鳳寺に墓石が並ぶ「七士」の名と出身地は以下の通りだ。

土岐 丑之助(25歳・没 下荒田村・天保山)
有馬 純俊(25歳・没
鹿児島 田上村
有馬 儀定(23歳・没 日向国 小林郷)
長井 弥藤太(48歳・没 南方郷 坊村)
米良 佐平太(43歳・没 帖佐郷 鍋倉村)
寺田 泰助(33歳・没 指宿郷 西方村)
橋口 仲二郎(36歳・没 高城郷 湯田村)

彼らが政府に提出した「上申書(従軍記録)」などを紐解くと、墓石に刻まれた名前の背後にある人生や戦いが浮かび上がってくる。