「賊軍」になった薩摩の武士たち
近くに立てられた由来書きには、「明治10年(1877年)の西南戦争で投降した西郷軍の墓」とある。墓石には一人ひとりの名前と出身地、亡くなった年が刻まれている。
約150年の風雪を耐えた墓石には、思わず背筋が伸びるような威厳があった。
西郷隆盛に率いられた「国内最後の内戦」
明治10年(1877年)の西南戦争は、明治政府に対し不満を抱いた士族が起こした反乱である。西郷隆盛が率いた薩軍は、官軍と戦い「賊軍」とされた。明治政府にとっては、反政府勢力である。
「西南戦役作戦経過要図」(防衛省防衛研究所所蔵)によると、西郷や桐野利秋、村田新八ら幹部に率いられた薩軍は、諸藩から合流した隊も合わせて最大で3万人。
対する官軍は陸軍5万8,558人、海軍2,280人に軍艦13隻、輸送船6隻を投入した。
2月から9月にかけて熊本、宮崎などで官軍と薩軍とが戦った。薩軍で最後に鹿児島の城山にこもったのは約350人。政府軍は7万人の兵で城山を包囲したとも言われる。

















