◆死刑が確定してもほがらかな成迫

死刑執行のために死刑囚の房を出るとき、「なんともありませんよ」と言っていた成迫忠邦は、死刑確定の知らせを受けたこの日も、ほがらかだった。
<第五棟 北田満能(「七人を偲びて」1951年より)>
成迫氏は数カ月前から一つの心境に到達していて、それこそほがらかそのものであった。当夜も別に変った様子はなく、むしろ助かった吾々にいろいろ慰めの言葉をかけてくれた。更に彼の一身上に於ける或問題も、心境が開展すると共に自ら解決されてその模様を小文にして私にくれた。彼は自己の生と死とが一体になっていたのである。彼は特別の親孝行者であったらしく、「母は成仏しているんだが、本人はそれが解らなくて苦しいらしい。兄キ(私をこう呼んでいた)が帰れば俺が帰ったのだから、母によく話してきかせて安心さしてくれ」としきりに頼んだ。先立つ者は誉、知識なり、九死に一生を得て死刑をまぬかれた者が、己れの死の中に己れを投げこんだ人によって導かれる。世にこれほど尊きものがあろうか。浮世の俗事片々は全く水泡のうたかたでしかない。