「あんな微罪で死ぬことはないだろう」

新井将敬の顧問役として相談を受けていたのは、元検事の猪狩俊郎弁護士である。1997年12月、読売新聞が疑惑をスクープした当日、新井がマスコミの前で否定会見を行った際にも、猪狩は同席していた。

年が明けた1998年1月30日、国会での参考人招致。新井は「借名をお願いしたのは、私からでございます。政治家としての、特権意識があったというのは反省いたします」と述べ、責任の一端を認めた。
しかし「儲けされろ、儲けさせろと、私は強要したりする人間ではございません」と語り、利益供与を要求した事実はきっぱり否定した。

2月17日、東京地検特捜部の粂原検事による取り調べを受け、翌18日には記者会見を開く。公の場に立つのは、これが最後となった。

会見では、日興証券のH元常務らとの会話を録音した「テープ」の内容を公開し、「自ら利益を要求したことはなく、日興証券は私を加害者に仕立て上げ、危機を乗り切ろうとしている」と強調。さらに「私の最後の言葉を10分の1でも信じてほしい」と訴えて会見を締めくくった。

その終盤、記者団に残した言葉が、いかにも意味深だった。

「この場に帰って来れないかもしれないけども、皆さん、今日私が言ったことはよくご理解ください。最後の言葉に嘘はありませんから」

翌19日午前2時前。弁護人の猪狩のもとに、新井の妻から電話が入った。

「先生…新井が…宿泊先の品川のホテルで…首を吊って自殺しました。今度どうしたらいいかご指導いただけないでしょうか…」

猪狩は即座に応じた。

「分かりました。今、事務所にいます。車ですぐ行きますから、誰にも知らせないでください。政治家を含め、私が行くまで誰にも知らせないでください。へたに知らせるとマスコミが嗅ぎつけて大混乱になりますから」

「分かりました。この後のことはすべて先生のご指示に従います」

「部屋はどこですか」

「2338号室です。部屋で先生をお待ちしています」

電話を切ると猪狩はすぐにタクシーを拾い、品川の「ホテルパシフィックメリディアン東京」へと向かった。

渋滞に苛立ちながら、車中で胸をかき乱されていた。

「あの意思が強く、誇り高く、自信満々で、戦闘精神旺盛な新井が……」

信じがたい知らせに、思わずつぶやいた。

「何もあんな微罪で死ぬことはないだろう。たとえ逮捕されても、特捜部の『利益供与要求罪』の構成要件に無理があることはわかっているのだ。そのために私だって新井さんに頼まれ、危険を承知で(反証となる)証拠を集めてきたんじゃないか。それなのに……」(『激突』猪狩俊郎)

ホテルの部屋に到着すると、すでに亀井静香ら数名の国会議員や新井の秘書の姿があった。だが、まだ警察への通報はなされていなかった。

新井議員の第一報を伝える新聞の号外(1998年2月19日)
新井議員の弁護人 猪狩俊郎弁護士(元検事)