「双方代理」の懸念も それでも引き受けた夫婦の“確約”

猪狩は、新井に対し「逮捕状の容疑は特捜部が手掛ける経済事件としては微罪にすぎない」と説明していた。新井が問われた証券取引法違反(利益要求)は、当時の法定刑が「懲役6カ月以下」と極めて軽微であり、のちの法改正で「懲役3年以下」に引き上げられる前のことであった。

これに対し、東京地検特捜部が得意とする「収賄罪」は単純収賄でも懲役5年以下、「受託収賄」なら7年以下、さらに「脱税」では10年以下といずれも重い。だからこそ猪狩には、「本人にも説明していたのに、なぜ…」という思いが拭えなかった。

さらに猪狩が「危険を承知で」とつぶやいた言葉には、背景があった。
端的に言えば、猪狩が新井の弁護人を務めると同時に、日興証券のH元常務の弁護をも引き受けたことを意味している。
これは弁護士倫理に反する「双方代理」にあたるのではないかとの疑念を招き、猪狩は特捜部と鋭く対立していた。

やや説明を要する。

総会屋・小池隆一への利益供与事件において、元常務のHは東京地検特捜部に逮捕された。すると新井は、知人のH常務に対して「猪狩先生に弁護人をやってもらいましょう」と持ちかけた。

ただ、新井自身も小池隆一と同様にH元常務から「利益供与」を受けた疑いがもたれており、今後の捜査の展開次第では、新井から「利益の要求があったかどうか」という点で、新井とH元常務の主張が食い違ってくることも十分に予想された。

猪狩はH元常務から話を聞いた上で、最終的に弁護を引き受けたが、この状況は弁護士にとって重大なリスクを孕んでいた。
つまり猪狩は、日興証券元常務のHと、国会議員の新井という、「利益が相反する可能性のある当事者双方」を同時に弁護することになり、典型的な「利益相反」になりかねない状況だった。

そもそも弁護士は一つの事件で、対立する当事者双方を同時に弁護することは「双方代理」として許されていない。
「利益を提供したH」と「利益を要求したとされる新井」の双方を担当すれば、いずれか一方の利益が損なわれかねず、弁護活動の公正性が失われるからだ。
こうした原則は、「弁護士職務基本規程」にも明記されている。

しかし猪狩は、当時は「利益相反にはあたらない」と判断した。

なぜなら、H自身が“新井のファン”であることを公言し「(利益の)付け替えは(新井の要求でなく)独断でやったことで、新井自身は知らないことだった」と断言しており、新井と争う主張はしていなかったからである。

念のため猪狩は、第一東京弁護士会の担当委員に意見を求めた。結果、3人の委員はいずれも「受任は問題ない」と回答した。

さらにHは「総会屋・小池隆一に利益提供をしていないことを、飜すことは絶対ありません」と、否認を貫くことを固く約束した。Hの妻も「命をかけてでも主人を守ります。決して猪狩先生に迷惑をおかけしません」と誓った。

夫妻そろって「検察に屈しない」と確約したのである。

その言葉に動かされ、猪狩は最終的に9月29日、Hの弁護人を引き受ける決断を下したのだ。

だが、特捜部の追及が本格化するにつれ、Hは黒川弘務検事の取り調べに動揺し、供述が徐々に揺らぎはじめたのである。

(つづく)

TBSテレビ情報制作局兼報道局
ゼネラルプロデューサー
岩花 光

《参考文献》
村山 治「安倍・菅政権vs検察庁」文藝春秋
猪狩俊郎「激突」光文社
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」 新潮社
村山 治「市場検察」 文藝春秋
村串栄一「検察秘録」光文社
産経新聞金融犯罪取材班 「呪縛は解かれたか」角川書店