当選同期の石破茂(後の総理大臣)が記憶する、新井の最後の言葉】
93年、自民党を離党。94年4月、柿沢弘治や高市早苗らとともに渡辺美智雄元副総理を担ぐ「柿沢自由党」を結成したが、渡辺の離党断念で計画はとん挫。その後94年12月、「新進党」に参加するが、小沢一郎に反発して離党。96年の小選挙区選挙では無所属で当選し、小泉純一郎や石原慎太郎を「守旧派」と批判した。同年10月に、船田元や石破茂(後に総理大臣)ら無所属で当選した5人で新会派「21世紀」を立ち上げたが、翌97年7月、橋本政権の自民党に復党した。
だが、党派を転々とする中でテレビ出演の機会は減少し、かつての「改革派の論客」としての存在感は次第に薄れていった。
当選同期の石破茂(後の総理大臣)は、新井の最後の言葉をこう記憶している。
「1986年当選組の中で、最も才能があり、輝けるスターであった故・新井将敬議員がその死の直前、私に対して、『石破、マスコミには気をつけろよ。俺はマスコミに持ち上げられてどんどん過激なことを言っているうちに、引っ込みがつかなくなってしまった。持ち上げるだけ持ち上げて、その後落とせるだけ落とすのがマスコミなのだ』と、なんとも寂しそうに言っていたのを思い出します。あれは新井議員の私に対する遺言であったように思えてならない」(石破茂オフィシャルブログ 2010年4月16日)














