「不逮捕特権」と「検察首脳会議」
国会議員には憲法で「国会の会期中は逮捕されない」という特権が認められているが、国会に許可を得ることにより、例外的に逮捕は可能となる。ただ、そのためには「逮捕許諾請求」をして逮捕状の内容を国会に提示しなければならない。
これは証拠の一部を事前に明らかにすることを意味し、検察側にとって大きなリスクを伴う。そのため原則として「会期中の逮捕は避けたい」というのが検察の本音だった。
しかし新井将敬のケースでは、逮捕しなければ、証拠隠滅の恐れが濃厚だと判断された。「国会の会期中であっても逮捕に踏み切るべきだ」という点について、検察内部で異論は出なかった。
新井の取り調べが行われた翌日の2月18日午前8時半、検察庁19階の会議室で「検察首脳会議」が開かれた。「検察首脳会議」は政治家が絡む重大事件の際に招集され、ここで最終的な立件方針が決定される。
出席者は以下の通りだった。
【最高検】
検事総長・土肥孝治(10期)、次長検事・堀口勝正(16期)、刑事部長・東条伸一郎(17期)
【東京高検】
検事長・北島敬介(13期)、次席検事・高野利雄(20期)
【東京地検】
検事正・石川達紘(17期)、次席検事・松尾邦弘(20期)、特捜部長・熊﨑勝彦(24期)、副部長・山本修三(28期)
【法務省】
刑事課長・藤田昇三(28期)
このうち北島、石川、東条、熊﨑の4人は、1993年の「ゼネコン汚職事件」で、中村喜四郎元建設大臣に対して、当時26年ぶりとなる国会会期中の逮捕を決めた検察首脳会議にも参加していた顔ぶれであり、いわば「特捜人脈」が再び集結していた。
検察首脳会議では、副部長の山本修三が約40分かけて捜査経過を報告。日興証券元副社長やH元常務の供述、新井が一貫して容疑を否認している状況などが説明された。逮捕に慎重な意見も一部あったというが、最終的には「新井逮捕」で一致。正式に方針が了承された。
「証拠隠滅もあったが、四大証券や第一勧銀のトップをごっそり逮捕しておいて、政治家だけ例外扱いにはできない」(元検察幹部)
会議終了後、法務省の原田明夫刑事局長が下稲葉耕吉法務大臣に「逮捕方針」を報告。すでに事務方から説明を受けていた下稲葉は形式的に了承し、東京地検特捜部はただちに東京地裁に逮捕状を請求した。
東京地裁は「証券取引法違反容疑」で逮捕状を発付し、橋本龍太郎内閣に「逮捕許諾請求書」を提出。国会の会期中の新井議員逮捕に向け、いよいよ手続きが動き始めた。
同時に特捜部は強制捜査に着手。衆議院議員会館の新井事務所、大田区久が原の自宅、西蒲田の地元事務所など計13か所を一斉に家宅捜索した。
翌3月19日正午、衆議院議院運営委員会は全会一致で「新井逮捕の許諾」を議決。あとは本会議で正式承認されれば、午後7時には新井が検察庁に出頭する段取りとなっていた。
だがその時すでに、新井は品川のホテル・パシフィックメリディアンで自ら命を絶っていた。
