■真実を求め、研究家のもとへ

訪ねたのは、村の歴史を研究する青戸良一さんです。


早速、青戸さんが持ってきたのは、村の歴史が記された古文書。そこには「赤坂一族」と書かれています。
この中に「赤坂中野新宿」の真実があるのでしょうか?


青戸さん「この家系図の中でいきますと、赤坂の朝光っていう人(殿様)が鮫川に入ってきた。中心地の名称を『中野』っていうことで、新しい宿場ができたってことで『赤坂中野新宿』っていう名称になって・・・」


青戸さんの話では、鎌倉時代に現在の福島県石川町から『赤坂』という殿様が鮫川村にやってきて、赤坂館という拠点を作りました。


当時、赤坂館の東側を東野、西側を西野、中心部を『中野』と呼ぶようになったといいます。


拠点を作ったところ、新しい宿場ができたことから、『新宿』という名前が付きました。


青戸さん「東京の方が鮫川より後でしょうから鮫川の方からすれば、東京の地名と直接の関係はないと思います」


地元の人たちは、「赤坂中野新宿」の地名をどう思っているのでしょうか?

村の中学生「新宿とか中野って東京と似てるよねとか話したことはあります。同じだからちょっと嬉しい」
村民「住んで50年になりますけど、地名がいいからこれまで来たんだ。いいですよ、ここは中野新宿だから東京よりいいんだ!」
平岡アナ「両方くっついているから!」


鮫川村の人たちは、故郷の地名に誇りを持ち、村内は郷土愛に溢れていました。