■東京五輪の裏で…「菅総理では選挙が戦えない」
一方、国内は、東京五輪の開催中も新型コロナの感染拡大が収まらない。東京では8月に入ると初めて新型コロナの新規感染者が5000人を越えるなど、感染収束のめどは立たなかった。こうした中、8月25日、菅総理は記者会見でこのように話した。
「現在進めているワクチンの接種、デルタ株に対しても、明らかな効果があり、新たな治療薬で、広く重症化を防ぐことも可能です。明かりははっきりと見え始めています」
「楽観的すぎる」「国民との意識のかい離が大きすぎる」など菅総理に対する批判は集中し、内閣支持率は過去最低を更新。衆議院議員の任期が10月に迫る中、「菅総理では衆院選は戦えない」との声が大きくなっていった。岸田氏が菅総理に挑もうとしていた当時は、こうした雰囲気が党内にまん延し始めていた。
■決戦前夜…“手書き”の骨格「こういう内容でやりたいんだ」
菅総理のこの会見とちょうど同じ日、岸田氏は、岸田派の村井氏や小林氏ら中堅・若手のメンバーをホテルに集めた。
「こういう内容でやりたいんだ」
ここで岸田氏は翌日26日の会見で話す骨格を披露した。全て手書きで書かれてあった。
若手議員らはそれを見てパソコンに打ち込み、「1つエピソードを入れようか」などと岸田氏と話し合った。その場所に居合わせた木原氏は、ここでも岸田氏の「強い意志」を改めて感じたという。
「昨年から1年かけていろんな勉強会・議連をやってきたものをご自身が自分の頭の中で整理をされて、ご提示をいただいたので、『もうかなりやる気が違うな』ということは率直に感じました」
■勝負の日「8月26日」 一世一代の“賭け”「二階氏への挑戦状」
こうした中、迎えた運命の「8月26日」。
自民党総裁選に最初に手を挙げたのが岸田氏だった。
「昨年の総裁選挙で敗北し、『岸田はもう終わった』と厳しい評価の声も頂きました。率直に言って、私の努力不足、力不足でありました」
こう口にした。負ければ後はないが、推す声は少なく、完全の“劣勢”の岸田氏。ここで“一世一代の大勝負”に出たのだ。
「総裁を除く役員については、1期1年連続3期までとすることによって、権力の集中と惰性を防いでいきたい」
連続3年以上役員を務めることはできないとする“改革案”。歴代最長の5年以上にわたり幹事長を続けてきた二階氏に対する“挑戦状”とみられた。
この“挑戦状”は、二階氏が全面的に支えてきた菅総理に対する“宣戦布告”でもあった。岸田陣営も当時、「対菅」戦略を考えていたのだ。
■側近明かす秘話「党改革案は宏池会の若手で1年間議論してきた集大成」
「党改革」の打ち出しは、狙い通り、流れを変えた。
木原氏は、この党改革のアイディアについて、こう明かした。
「党改革も宏池会の若手で特に青年局のメンバーを中心にずっと議論してまとめていた。若手の中には、登用されない、自分たちの声が届かないという不満があった。まさに1年かけて、派内で議論してきた、その集大成だった」
木原氏は「どなたか特定の方を認識して、意図して話したことではなかった」と話す一方、若手の党執行部への不満が今回の党改革案に繋がったのではないか、と振り返る。
さらに、4月の参院広島選挙区の再選挙での敗北も若手を中心に焦りや危機感が大きくなったという。若手の間で、党改革をしっかりやろうという思いが強くなったきっかけになる出来事だった。

















