戦闘指令所として…わずか3か月で行われた工事

 巨大地下壕はなぜ掘られたのか。防衛省に当時の資料が残されています。

 【防衛省に残された資料】「航空総軍命令。屯鶴峯地下施設ヲ促進スル」

 アメリカ軍が沖縄に上陸し、日本での本土決戦が間近に迫っていた終戦間際。この地下壕は陸軍が秘密裏に大阪の大正(八尾)飛行場に指示を出す「戦闘指令所」として掘られたと考えられています。

 (田中正志さん)「今度は南九州にアメリカ軍が上陸してくる。上陸するときを叩こうということで、関西にある飛行場を使って、そこから特攻機を飛ばそうとしていた。そのときに指令を出すのがこの地下壕だったと考えていい」

 陸軍が穴を掘り始めたのは1945年6月。地下壕の工事は8月の終戦までのわずか3か月で行われました。