「焼けただれて、顔も体も」張本さんが語る壮絶な被爆体験

自宅は爆心地からおよそ2キロ。小高い山の裏手にあった。張本さんと2歳上の姉は、母親にかばわれ無事だったが、母親はガラスの破片が背中に突き刺さり、大けがをした。

2日ほど経って6歳上の姉・点子さんが担架で運ばれてきた。

張本勲さん
「その姿を見て声がでませんでした。『これが俺のお姉ちゃんか』と。焼けただれて、顔も体も、お袋は愛娘をみながら、お袋も声もでませんよ」

点子さんは、 爆心地近くで被爆し、全身に火傷を負っていた。

5歳の張本さんが、優しかった姉のためにできたのは、ブドウのつぶを口元にあててあげることだけだった。

張本勲さん
「それくらいしか私のできることはないんですよ。(ぶどうの粒を)取って口元に当てるんですけど、水(果汁)が出たか、出なかったか、記憶がありません」

――お姉様の表情とか覚えていますか?

張本勲さん

「覚えていませんね。表情よりも、焼けただれていますから。ケロイド状に焼けただれてましたからね。お袋は、介護するにも介護のしようが無い。医者はいない、薬はない。自分の衣類を半分引きちぎり、水に浸して、首筋を冷やしてあげる。

姉は死ぬまで、『お母ちゃん、苦しいよ、痛いよ、あついよ』と言ったそうですよ。10歳上の兄貴が、泣きながら私に言ったことがあるんです。私も思わず、『お母ちゃん、お姉ちゃん』と言って大きな声で泣いたのは、昨日のように覚えています」

そして、点子さんは息をひきとった。

――お母様とかご家族で原爆の話をしましたか?

張本勲さん

「しませんね。姉の話も一切しません。形見、一切残しませんでした。兄が小さい写真を持っていたんですが、それも全部焼き捨てました。思い出したくないんでしょう。私はそういう話をほとんどしませんでした」