◆駅で別れてから2年2ヶ月ぶり 写真での再会

国立公文書館にあった被告人名簿では、藤中松雄がスガモプリズンに入所した日付は1947年7月2日になっていた。この手紙によると拘束された松雄と親族たちが地元の大きな駅(福岡県・飯塚駅)で別れたのは6月30日だった。福岡から東京までの移動に2日を費やしたのだろう。2年2ヶ月ぶりに見る親族たちの姿に松雄は見入っている。
<藤中松雄が兄に宛てた手紙 1949年9月27日付>※一部現代風に書き換え
まず、最初に速達で来た写真を引き出して、喰い入る様に見つめる事、幾分・・・・八十六才の元気な祖父の姿、父、母、バアーサン、兄、弟と目はまたたきもせず、次から次へ肉親の顔(おもて)へうつり、何時しか熱いものかこみ上げて早や見えなくなり、思いは千々に砕けるのでした。

昭和二十二年六月三十日、飯塚駅頭で別れて早やここに二年二ヶ月あまりぶりの対面、この間、母の重病を知らされ、一時は各医師に見放されていた母、もしや亡くなられたのではないか?心配するから通知しないのではないか?などと、一人寂しく天井を見つめて、母の面影偲び、枕をぬらせし夜は幾日か・・・母の元気な姿を見て、喜びは如何ばかり・・・「子を持ちて初めて知る親の恩」とか或いは亡くなられて親様の御思を痛切に感ずるとか良く耳にしたものでありますが、子を持ち、この可愛さを思うにつけ、親の限りなきご恩を感じさせて頂く様になった時は、獄窓にて今日とも明日とも保証しがたきこの愚身孝養は、愚か最後の日まで苦労と心配という心配はあらん限りおかけし、なんとお詫びの言葉がありましょう。何と親不孝の私でしょう。