1950年スガモプリズン最後の処刑で命を奪われた福岡県出身の藤中松雄。死刑執行の半年前、松雄は死刑囚が集められた棟で、故郷の兄へ手紙を書いていた。終戦の年、23歳で米兵捕虜殺害の現場に立ち会い、上官の命令のままに銃剣で刺した松雄は、戦後、BC級戦犯に問われた。松雄は手紙の中で、獄舎にも訪れた秋の気配にふるさとの景色を思い浮かべながら、妻や妹から届いた手紙や写真への喜びを綴り、両親への感謝を繰り返していたー。
◆秋のなごやかさは獄舎も平等に訪れる

藤中松雄の故郷、福岡県嘉麻市の碓井平和祈念館に収められている手紙。松雄は19歳の時に藤中家に婿養子に入っているが、生家の父母や兄宛てに書いた手紙が多数残されている。この手紙の日付は1949年9月27日。この頃、松雄が発信できる手紙は週に2通と制限されていた。
<藤中松雄が兄に宛てた手紙 1949年9月27日付>※一部現代風に書き換え
拝啓
日、一日と暑さは薄らぎ、流れ来る涼風は、秋のなごやかさをともなって獄舎も平等に訪れ、新鮮な大気を室一杯に満たし、モミヂ散るなつかしき故郷の山野を連想させる秋となりました。秋といえば、すぐ「天高く馬肥ゆる」という言葉を思い起し、宇宙の万物一切が結実する如く、吾々人間も読書、勤労、或いはスポーツと何をするにも絶好の季節であります。時に父母上様はじめ一同様もお変わりなく、家業に精励の事と存じますが、如何かしらお伺い致します。