「ENDO選手」のルーツを探りに和歌山へ

 3月13日、松宮さんは下里村があった那智勝浦町の下里地区にいました。ENDO選手のルーツはここにあるのでしょうか。

 (松宮哲さん)「円戸『まさじ』か『しょうじ』か分からないですけど」
 (住民)「この方がご本人?」
 (松宮哲さん)「そうです。今ですと、109歳なんですよ」
 (住民)「『八尺鏡野』という地区に円戸さんが多いですよ」

 円戸の名字が特に多いという八尺鏡野地区に足を運びます。名字が円戸の人に実際に聞いてみると…

 (松宮哲さん)「たぶん明治生まれの方です」
 (円戸さん)「明治生まれ(の人)知らん」
 (松宮哲さん)「カナダや外国へ行っていたことはありますか?」
 (円戸さん)「それも知らんわ」

 別の円戸さんの家も訪ねました。

 (松宮哲さん)「円戸という名字の人を訪ねています」
 (円戸さん)「もうお父さんは亡くなっている」
 (松宮哲さん)「カナダに行っていたことは?」
 (円戸さん)「聞いたことないね」

 (住民)「『円戸きよし』は私の親戚やけどそんな話は…(カナダとのつながりが)あったら聞いたんやろうけど。『カナダにもおったんや』とか。僕は母親がシアトル生まれで、もう1人の親戚はブラジルに今おります」
 (松宮哲さん)「この辺は移民が多いんですか?」
 (住民)「移民は多いですよ」

 7時間探し回りましたが、ENDO選手の手がかりは掴めませんでした。

 (松宮哲さん)「来てよかったです。結果的に分からなかったけど、『分からない』ことも1つの情報。最終的に見つかるまで続けたいと思っています」