『朝日軍の功績をたたえ贈られたメダル』届けるべく元選手の親族を探す
終戦から43年後の1988年。
(マルルーニ首相 ※当時)「議会を代表して日系カナダ人に深くお詫びを申し上げる」
カナダ政府は迫害政策を謝罪し、日系カナダ人らに金銭補償も行いました。
2003年には朝日軍が人種差別のなかでもフェアプレーに徹した姿などが評価されて、カナダの野球殿堂入りを果たしました。その後、朝日軍の功績をたたえ、当時の選手ら74人にメダルが贈られました。
松宮さんらは、日本に帰国し所在の分からない元選手の親族を探し出し、これまで約15人にメダルを届けたといいます。
(松宮哲さん)「祖父が『やれ』と言っているような気がするんです。栄光のシンボルで、子孫にとってはかけがえのない宝物になると思うので」
メダルを渡せていないのはあと4人。松宮さんがいま調べているのが『ENDO』という選手です。現地の日系カナダ人向けの新聞記事から『円戸』と書くことが分かりました。移民の記録を調べたところ、『円戸彌市郎』という人物が和歌山県にあった下里村から、バンクーバーへ渡っていたと突き止めました。
(松宮哲さん)「“first son”(長男)、カナダで生まれたのですが、『円戸しょうじ』か『まさじ』か『せいじ』か分かりませんが、おられたことが分かりますので」
この円戸彌市郎さんの長男『正二』さんが、朝日軍のENDO選手ではないか。松宮さんは手がかりを求め和歌山県へ向かうことを決めました。
(松宮哲さん)「不発になるかも分からないし、行ってみないと分からないけど、調べてみることが大切だと思います」