「この国の生まれなのに敵のように扱われた」戦争で家も財産も奪われる
しかし1941年。太平洋戦争が始まると風向きは一変します。日系カナダ人は『敵性外国人』とみなされ、全財産をカナダ政府に没収されました。遠く離れた収容所へ入ることを強いられ、朝日軍は消滅しました。
(ケイ上西さん)「自分の家に帰れると思っていました。家も全部知らない間に売却されていた」
(エディ北川さん)「私たちはこの国の生まれでしょう。カナダ人ですから。それなのに敵のように扱われて、私は憤慨しました」
松宮さんの一家も財産を没収され収容所に入れられました。そして終戦後、日本に追放されました。
(松宮哲さん)「(祖父も父も)どういうわけか(戦時中のことを)話さなかったです。自分らが受けた苦しみを伝えたくなかったのかもしれない。言いたくなかったのかもしれない。一番の苦労は、今まで築いてきたお店が無くなってしまうこと、これが一番苦痛だったと思います」