イチロー初めて明かした真実、心を乱す状況~日本球界復帰も選択肢に
メジャーの初舞台に立ってから24年もの月日が流れ、数々の大記録を打ち立てたイチロー。
マリナーズの不動の1番として10年連続200安打をマーク。2004年にはシーズン最多安打(262安打)を樹立し、一気にメジャーを代表する選手へと駆け上がった。
しかし2006年、イチローの心を乱す状況に。
日本人初となるアメリカ野球殿堂入りを果たし、その名を歴史に刻んだ今だからこそ、これまで語ることのなかった真実を打ち明けてくれた。
マリナーズは同年8月に悪夢の“11連敗”を喫するなど、シーズン中盤にも関わらず、自力優勝が消滅。チームのモチベーションはまさにどん底に。そんな中、ひとり記録に向かって、黙々とヒットを量産するイチロー。待っていたのは“孤立”だった。
イチロー:割とチームが結束していく時って、ネガティブなことで結束していくことが多いんですよ。ダメなチームって。そこに巻き込まれたくない。だから僕は外れるんですね。そこから。
イチロー:その中で僕が200本、3割。僕が続けてきたことを続けたいし、チームが希望を失ってる中でお客さんに喜んでもらえるとしたら、個人のパフォーマンスじゃないですか。いいプレー。野球ファンですから、来てる人たちって、基本的には。グラウンド上では、しっかり仕事をするっていうのがプロだと思ってる。
メジャー7年目の2007年には、野球人生で初めて自らチームを選べる状況に。イチローの選択に注目が集まった。
世界一に遠いマリナーズ残留か。熱烈なオファーを受けた名門・ヤンキース移籍か。世間が注目する中、実はその裏で知られざるもう一つの選択肢があったという。
イチロー:2007年は実は日本に戻ろうか、と考えたこともあった。
帰国して日本のプロ野球へ・・・。そのチームが、原辰徳監督が率いる読売巨人軍。当時、巨人は球団史上初となる2年連続Bクラス(2005・2006年)に低迷していた。
記者:あの当時は、巨人っていうチームはイチローさんから一番遠いイメージだと思ったんですけど、それでも巨人の可能性を考えたっていうのはなぜだったんですか?
イチロー:面白いじゃないですか。人が想像しないからね。それはプロ野球選手としての一つの使命と捉えることもできる。
記者:でも(メジャーに)残ったのはなぜ?
イチロー:それで逃げたら負けだと思ったからです。
仮に日本に戻っていたら、数々のメジャー記録も殿堂入りの資格さえも手にすることはなかった。
イチロー:正しいかどうかなんてわからないんですよ。でも僕はそうしたかった。それに間違いはないんです。惑わされそうになったこともあります。常に自分でそれは決断してきたことだから。責任を持つ、持てるというか。失敗することでいろんなことが見えてくる。うまくいくことじゃない。
(第3回へ続く)














