日本人初となる米野球殿堂入りを果たしたイチロー(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)。野球人生の節目を迎えたレジェンドに、独占インタビューを通じて、これまで語ることのなかった真実に迫った。(第2回/全4回)

シアトル・マリナーズの本拠地、24年前のセーフコ・フィールド。イチローの挑戦はこの場所から始まった。

「どうしても思い出す」入団初期の屈辱とプレッシャー

日本のプロ野球で7年連続(1994〜2000年)首位打者に輝き、2000年オフにオリックスからポスティングシステムでマリナーズに移籍。日本人初の野手としてメジャーデビューを果たした。しかし、世界最高峰の舞台で予想だにしないメジャーの洗礼を受ける。

イチロー:キャンプのスタート、スプリングトレーニングのゲームが始まって、「日本帰れ」ってもう毎日言われましたよ。それをどうしても思い出すんですよね。

2000年代前半、メジャーリーグはパワー野球全盛期。一発で試合を決めるホームランバッターが高く評価されていた。そんな中、細身でコツコツとヒットを重ねるスタイルのイチローに懐疑的な声が上がった。日本では7年連続で打率3割4分を超えていたが、当時のルー・ピネラ監督は「打率はせいぜい2割8分くらい」と評価は高いものではなかった。

イチロー:日本でヒットを200本打ってる人間が、200本打てないなんてことは、あっちゃいけない。

さらに重くのしかかったのが背番号。マリナーズの51番といえば、マリナーズ史上初のノーヒットノーランを達成し、最も優れた投手に贈られるサイ・ヤング賞を獲得した伝説の左腕、ランディ・ジョンソン。

イチロー:「(背番号)『51』を何としても、平凡な数字にはできない」という思いも、とても強かったので。