ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から3年。停戦の行方はいまだ不透明で、来日したウクライナ人は、「避難」から「定住」に移行するかどうか難しい選択を迫られています。こうした中、大分県別府市に避難している聴覚障害の男性が日本での定住を決断しました。

妻との再会、言語の壁を越えて

ウクライナ出身のコバレンコ・バーディムさん(53)は、2022年9月に日本へ避難し、別府市の「太陽の家」に身を寄せています。幼い頃から聴覚障害があり、異国での慣れない生活の中で日本の手話を勉強。いまでは日常的にコミュニケーションが取れるようになりました。

コバレンコさん:
「初めて来たときは心配で、コミュニケーションや仕事が心配だったけど、今は慣れました。遊びに誘ってもらえたり、電車を使っていろんなところに行けたりしています」

かつてコバレンコさんは、首都キーウから南西に260キロ離れたヴィーンヌイツャ市で暮らしていました。来日した当時、ロシアによる侵攻で爆撃に怯える日々が続いたと語っていました。

コバレンコさん:
「音は聞こえないけど、心臓まで爆発の振動が響きました。気付いて外を見たら煙が上がっていたので急いで逃げました」

現在、コバレンコさんは「太陽の家」でオムロン製品の組み立てや出荷作業を担っています。勉強熱心で仕事の覚えが早く、上司から欠かせない存在と評価されています。

太陽の家 安部政弘さん:
「聴覚障害と外国人ということで言葉の壁はあるけど、耳が聴こえない分、周りの人がやっていることを目から吸収する能力は非常に高い」