神生さんが避難した鷹取中学校の付近はとりわけ被害が甚大で、ピーク時には2000人を超える人々が身を寄せていました。

 スペースの確保はままならず、神生さんは学校の運動場での車中泊を約半年間にわたって余儀なくされます。

 不自由で、不便で、なかなか終わりの見えない日々。ただ、神生さんは、そこで生まれた人と人とのつながりの記憶が、今も色褪せずに心に残っているといいます。
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 (神生善美さん)「ここに入ったおかげで地域の人との交流ができて、みんなと付き合ってワイワイさせてもらって、知らん人とも話できて、そういうことがあるから、つながりはすごく大切やなと思って。つらかった、楽しかったで言ったら、楽しいに入るんかな、僕の場合は」

 当時、神生さんがカメラに収めた写真には、未曽有の災害の後でも懸命に“普通の暮らし”に務めようとする人々の姿が記録されていました。