被災者たちが身を寄せた避難所。兵庫県内で設置された避難所は最も多いときで1153か所でした。当時、避難所で何が起きていたのでしょうか。見えてきたのは令和にもつながる教訓、そして悲痛な叫びの数々も浮かび上がってきました。

住む場所を失い生活が一変「本当に死ぬ思い」

 1995年1月17日、突然、生活は一変しました。避難所となった体育館には地震で住む場所を失った人たちが、ひしめき合うように身を寄せていました。

 (避難所に身を寄せる被災者)
 「家の中にヒビがいっているので、もし余震があったらいけないと思ってここに来た」
 「すごかったですよ。本当に死ぬ思いでしたね」

 杖をつく場所さえも探しながら歩きます。この日の神戸市の最低気温は1.4℃でした。

 命を繋ぎ止めた安堵と、これから先への不安。やり場のない、悲しみと、怒り。発災直後の避難所にはさまざまな「思い」が交錯していました。

(避難所に身を寄せる被災者)
 「とにかく怖かったです。子どもを守るので必死。今も泣いて泣いて。(Qミルクは?)私も恐怖で母乳の出が悪くなってしまって」